最後の一日までをどう楽しむか?

人生には必ずエンドがあります。そのエンドはある日突然来る人もいますし、徐々にその日に近づいていく人もいます。徐々に来る場合、まだ大丈夫、という気持ちがある時に乗り越えられなくなり、一気に老け込む方もいます。

私は不動産開発事業を通じて人々の生活の基盤を提供するという仕事を長年やってきました。それはまだ働き盛りで夢も希望もある方々を顧客とし、その人たちが幸せなライフを居住空間を通じて営んでいることを見守り続けることを生業としてきました。衣食住と言いますが、その中で住空間だけは10年、20年と長く付き合い続けるわけですから引き渡して「はい、さようなら」というビジネスではないのです。

そんな事業もひと段落した今、次のことを考えています。

「最後の一日までどう楽しむのか?」であります。

写真AC:編集部

健康なまま、最後の一日を迎える人はほとんどいません。複数の病気を抱え、薬漬けになっている方、カラダが自由に動かず、家の中を移動するにも苦労する方、認知症になってご家族がへとへとになっているところもあります。

バンクーバーのラジオからは訪問介護の会社のCMが年中流れています。急速に伸びているこの会社はやはり高齢化社会を迎えているカナダにおいてごく当たり前に成長しています。しかし、顧客である老人の要求は千差万別。ましてや人種のモザイクのようなカナダにおいて個々人がもつ人生の背景を知る由はありません。

また、訪問介護をする側も時として客を選びます。そうするとどうなるか、来てもらいたくても誰も来ないことすらあるのです。

日本からも聞こえてきます。90歳代同士の夫婦が外部のサービス提供をなかなか受けられず、不自由同士が苦労して日々を過ごしている話もあります。訪問介護などのサービスを受けたくても元来子供がいなくて相談したり介護士のアレンジをお願いできない人もいるでしょう。

居住空間を提供する仕事に携わってきた私としては最後の日まで快適に過ごせる空間を作ることがどんなに高級でしゃれたコンドミニアムを開発するよりも重要だと思っています。

ではどのような居住空間が求められるのでしょうか?日本の老人ホームではお年寄りが集まって体操したりAIロボット君と対話をしたりというシーンがよく見受けられます。しかし、これらは受動的でしかありません。決められた時間に決められた作業をやらされることによる刺激です。そうではなく、個々が持っている潜在意識を覚醒させ、自立し、それを引き出せる環境を作りたいのです。

私の良く知っている認知症の90過ぎのおばあさん。この方は実は料理が上手。洗い物も普通にできます。しゃべっていると昔のことを昨日のことのようにつらつらと語ります。ですが、現在のことはどんどん忘れるので10分経つと一緒にご飯を食べていても「あなた食べたの?」と聞かれるのです。

可能ならばこのおばあさんはずっと料理をし続けたらよいと思うし、他人との協調がもっとできればまだずっと元気で楽しく過ごせるでしょう。しかし、カナダの施設に入った今、何もやらせてもらえないのです。いや、むしろ、食べ物だけは不自由しないほど与えられ、ちょっと太ったぐらいに感じます。これが本当の幸せなのか、私が最後の一日まで幸せに暮らせる居住空間を作ってみたい、と思うようになったきっかけです。

とはいっても多分、試行錯誤で失敗だらけかもしれません。時間もかかるし、初めはパイロットケースのような形で進めざるを得ないと思います。

医学の発達で平均寿命は大きく伸びるとみられています。がんの克服もさほど遠くないのかもしれません。しかし、どれだけ寿命が延びても楽しくない人生はいくら長生きしてもいやでしょう。寝たきりで何年も過ごしたくもありません。最後の日までハッピーに暮らすというテーマに向けて新たな改革が出来たらと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年1月13日の記事より転載させていただきました。