「統治機構」はあっても「統治権」は観念的過ぎなのか

日本国憲法を英語で表記すると、The Constitution of Japanとなる。

時代に合った新しい憲法を創ろうという私の主張を端的に英語で表記すると「Establish the
New Constitution of Japan」ということになる。

憲法をConstitutionと言い換えれば、憲法がどういう性質のものであるか分かりやすくなるのではないか。

憲法は、日本という国の基本構造なり骨組みを規定する基本法にして、国の最高規範だ、というのが私の理解である。

地方公務員の高山貴男という方のアゴラへの再投稿を拝見した。

高山氏によると、憲法の学者の方々は、統治権なる概念を持ち出して、憲法は権力を制限する最高法規範だというものの言い方をされるようだが、統治権なる概念は憲法にはなく、一部の憲法の学者の頭の中にだけある特異な概念だそうだ。

なかなか面白い議論である。
高山さんの投稿をきっかけに憲法に対する議論がどんどん深化していってくれることを期待している。
まあ、私の不勉強のせいもあるだろうが、高山さんの議論にも一理があるのではないかしら。

ちなみに、私は、憲法には権力の行使を制約するという面があることはを認めたうえで、上述したとおり、大事なことは、憲法が国の統治機構の在り方を規定しているということではないか、と考えているところである。

なお、この一文は、高山さんに対する反論でも高山さんの議論に対する補足でもない。

駄文の類と考えていただいて結構である。
念のため。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2019年1月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。