僕が知っている梅原猛さんのこと

2019年01月26日 06:00

梅原猛さんが亡くなられた。とても尊敬する先輩であった。

生前、日文研で講演する梅原さん(2005年、日文研サイトより:編集部)

梅原さんに初めてお会いしたのは、10年近く前のこと。きっかけは、梅原さんが書かれた、『神々の流竄(るざん)』だ。30年以上前に書かれた本で、なぜ伊勢神宮ができ、なぜ出雲神話が誕生したのか、これらを操る影の存在は誰か――。古代日本のミステリーを梅原さん独自の視点でひもといている、すばらしい本である。

梅原さんは哲学者だった。だが、それだけではない。哲学を出発点にして、こうした古代日本についての著書を世に出し、日本の歴史をくつがえした。ものすごい学者であった。

実は、僕も哲学に興味を持ち、デカルト、カント、サルトルなど、あらゆる哲学書を読んだ時期がある。しかし、実存主義のあたりで、わけがわからなくなってしまった。

いうまでもなく梅原さんは、僕などが足元にも及ばない偉大な哲学者だ。ところが、梅原さんを京都に訪ねたとき、「私も、ニーチェの『神は死んだ』で行き詰まった」と言うのである。梅原さんもデカルトから入って、近代哲学を学んだが、行き詰まってしまったそうだ。そこからインド哲学に向かい、釈迦に出会って、「求めていたのはこれだ」と感じたのだという。

哲学が追求するものが「真理」であるとしたら、仏教が追い求めるのは「悟り」である。そして、そこから仏教が渡来した古代日本に興味が移り、梅原さんは数々の名著を残すのである。

すごい学者だ。だが、僕を相手にこんなふうな話をしてくれる、偉ぶらない人だった。学問への迷いにも真摯に向き合い、柔軟であった。だからこそ、あれほどすばらしい本を残せたのだろう。

一方で、梅原さんは、一貫して反戦を貫いた。その点でも僕の大先輩なのだ。

僕は、11歳で敗戦を迎えた。戦時中、先生たちは、「この戦争は侵略者アメリカやイギリスとの正しい戦争だ」「フランスやオランダなどの植民地になっているアジア諸国を独立させるための戦争だ」と言っていた。だから、僕たちも大人になったら、「天皇陛下のために戦う」「立派に戦死する」と信じていた。

ところが、敗戦を迎えた昭和20年、その夏休みが終わると、先生の言うことは180度、変わっていた。「アメリカ、イギリスは正しい」「戦争はよくない、平和のために君たちはがんばれ」と。何より英雄だったはずの人たちが、「戦犯」となったのだ。先生たちは、彼らをこてんぱんに非難した。その筆頭が東条英機だった。

僕はこのとき、「偉い人の言うことは信用できない」「国は国民をだます」と悟ったのだ。僕のジャーナリストの原点は、ここにある。

梅原さんは1925年、大正14年の生まれだ。昭和9年生まれの僕より9歳も年上である。敗戦のときには、20歳になっていた。だから、僕よりももっともっと、戦争の経過をよく知っていただろう。権力はまったく信用できないという思いを、強烈に胸に刻んでいたはずだ。だからこそ、梅原さんの平和への思いは、微動だにしなかった。すさまじいまでに「反戦」を貫いた。

僕は梅原さんを心から尊敬していた。ご冥福を祈ります。


編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2019年1月25日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。

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