原子力事故における政府による「必要な援助」の意味

「原子力損害の賠償に関する法律」を抜本的に改正するとしたら、核心部は、第十六条に定める原子力事業者への「必要な援助」を明確化することであろう。つまり、政府として、どこまでの責任を負うかを明示するということである。

論点は二つある。第一に、損害賠償責任について、範囲を画するのか、いいかえれば、責任に上限を設けるのか。第二に、責任の総額について、政府と原子力事業者との負担割合をどう決めるのか。

第一の論点については、現行法は、無限責任としている。これは、賠償責任を厚くすることで、国民の理解を得て、原子力事業の健全なる発展を期するためにとられた政策判断の結果である。現在の電力事情からすれば、異論もあり得なくはないが、有限責任に改めることについては、国民の理解を得ることは難しく、かえって、原子力事業の継続を困難にする可能性も大きかろう。

しかし、責任の全体において無限責任であることと、原子力事業者の責任を有限化することとは、別問題である。そこで、第二の論点として、無限責任を維持しながら、どのようにして、政府と原子力事業者との負担割合を決めるべきかが問われなくてはならない。

原理的に、方法は二つしかない。政府と原子力事業者の両方が一定の負担割合で無限責任を負うか、政府または原子力事業者の一方の責任を有限化して、他方に上限を超える部分の責任を無限に負わせるか、この二つである。

負担能力からいえば、いうまでもなく、原子力事業者の責任を有限化し、それを超える部分についは、無限に政府が責任を負うことが現実的であるが、微妙な政策判断が必要なところである。

原子力事業者の責任に上限を設けるとしても、それを低く設定する、つまり、政府の無限責任を厚くするためには、国策としての原子力事業の推進についての幅広い国民の支持が必須である。ところが、現在の世論動向からすれば、原子力事業者の責任上限は、かなり高いところに設定しない限り、国民の理解を得にくい。

また、これは、技術論だが、原子力事業者の責任は、個社が負う部分と、原子力事業者全体で相互扶助的に負う部分とに、二つに分けるほうがよいのだと考えられる。保険制度を通じて原子力事業者全体に危険を分散することで、負担能力を補強できるからである。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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