つまらな過ぎる私の履歴書、凡人には地獄の黙示録な件

桁外れにつまらない「私の履歴書」の凄み(プレジデントオンライン)

楠木建 一橋ビジネススクール教授の記事が話題だ。

日経新聞 私の履歴書

私自身、今月(1月)いっぱい連載された石原邦夫東京海上日動火災保険相談役の耐えられないつまらなさに、たまらず読むのを途中で放棄した一人であっただけに、まさにその通りと共感してしまった。

東京海上HDサイトより:編集部

楠木教授の記事に反響が大きいのも、同じ思いで毎朝、“日経新聞”に目を通した人が多かった証だろう。

毎日読んでしまう「桁外れにつまらない」石原邦夫氏の私の履歴書(アゴラ 内藤忍氏記事)

新聞のメディアパワー凋落を感じる昨今ではあるが、日経新聞の“私の履歴書”はいつも興味深く読んでしまう名物コーナーではある。創業者の語りつくされた波乱万丈のストーリーも“私の履歴書”となると、ご本人も集大成的に気合が入るのか、記者の編集力によるものなのか、不思議と読み応えのある新鮮な記事になっていて新しい発見がある。

何より、普通は自伝など出版する立場にないサラリーマン経営者の“私の履歴書”も、サラリーマンならではの出世の”あや”や、組織人ならではの苦労に満ちていて、深く共感理解させられるものも多く、それはそれで読み物であることが常だった。

怖いほどに、謙虚、篤実、まじめ

自分のように平凡な人間の歩みを、たくさんの読者の皆さんにお伝えすることに戸惑いながら、この原稿を書き始めている。スリル満点の人生の創業者でも、世に広く知られたスポーツ選手でも芸術家でもない。しかも平成最後の年の正月の連載だ。

で始まる石原氏の“私の履歴書”は、一貫してスーパー謙虚である。

その謙虚がありがちなパフォーマンスなどでないことを、この連載を少しでも読んだ人は間違いなく確信するだろう。

東京海上日動火災保険は三菱財閥を代表する企業の一社でもあり、就職人気企業としても長年にわたり上位に入る押しも押されぬ、日本のトップ企業である。

その企業のトップを務め、公職的な役割も全うした石原氏は間違いなく“立身出世を極めた”人に違いない。

しかし一貫して篤実、まじめ、真摯。ギトギトした出世争いの醜さは気配さえ感じさせないのである。

大企業でもこんなトップが当たり前でないことは、今の日産自動車や、そういえば「住友銀行秘史」(國重惇史氏)が出版されたのもそんなに昔のことではない。

そういう意味では、石原氏をトップに選ぶことは、ガバナンスという視点で見てもお見事である。

これでは、池井戸潤氏がどんなに取材をしても小説化は不可能であろう。

つまり「つまらない」などと失礼な表題をつけたが、それは憎まれ口というもので楠木教授、内藤氏と同様、その徹底した謙虚、篤実、誠実な履歴書に私も結局のところは、ケチのつけようなどまったくなく「おみそれしました」、の一言でしかないのである。

サラリーマン道をここまで全うできる人は、逆説的に非凡の極み

同じく最近私は、堀江貴史氏と西野亮廣氏共著の「バカとつき合うな」(徳間書店)を読んだ。

堀江貴文「僕を含め、世の中の99%は凡人だ」(東洋経済オンライン)

堀江氏は一般には天才のように見られているが、自分のことを凡人であると断言する。真に非凡なのは、堀江氏と同じ世代のイチロー選手を引き合いに出し、

天才とは一生一業が許される人。たとえばイチロー選手のような究極にストイックな人物。

と定義しているのである。

この堀江氏の本が、石原氏の“私の履歴書”とある意味符合し、色々私は合点がいってしまった。

そう、“私の履歴書”の石原氏は、堀江氏言うところの実は”天才”なのだ。

石原氏はご自分では、“平凡”と謙遜されるが、その平凡に退屈せず“究極にストイック”に取り組めることこそが圧倒的に非凡なのだ。

東京海上クラスの一流企業になると、社員は一様に優秀である。優秀である上に石原氏のように真摯で誠実、まじめさで引けを取らない社員でさえ恐らく数百人単位ではいるのである。

もちろん出世だけがすべてではないが、能力ある人が組織で働いていいてリーダーシップや権限を求めるのはある意味当然のことであろう。贅沢な悩みのようだが、収入と世間体が満たされればそれで良いというものではない。それでも、現実に石原氏になれるのは一人なのだ。

この圧倒的に“つまらい”と言われるほどにストイック、そして稚拙な出世欲の表出さえ許さない厳しい競争の”凄み”が、逆説的にではあるが石原氏の”私の履歴書”からは確かに感じとられてしまうのである。

石原氏の“私の履歴書”は、凡人には“地獄の黙示録”

そういう意味で、間違いなく堀江氏言うところの凡人の側である私にとって、石原氏の“私の履歴書”は“地獄の黙示録”でしかなく、ある意味恐怖の書である。

私には、石原氏の“平凡”を氏のレベルで全うすることは、悲しいかなまったく不可能である。

大阿闍梨の陰には、命を落とした修行者も多かったであろう。

サラリーマン道侮るべからず。

堀江氏の示唆ではないが、まだサラリーマンを続けている諸氏にこそ、石原氏のこの“黙示録”に接して、サラリーマン道の逆説的な修羅を体感して欲しいと考えるがいかがだろうか。

秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。