三浦雄一郎の挑戦:パラグライダー誕生のきっかけはこの人

2019年02月01日 16:00

先週26日、冒険家の三浦雄一郎さんが今月21日にアルゼンチン南西部にある南米大陸最高峰のアコンカグア(標高 6,960.8m)の登頂を断念したことについて東京都内で記者会見をしました。
標高4,200mのベースキャンプから標高5,580mまでヘリコプターで上がり、標高6,000m付近のキャンプ地まで自力で登り、登頂の為に天候待ちをしていましたが、体調不良によるドクターストップで登頂を断念しました。

ドクターストップを最初は受け容れる事が出来なかった三浦さんですが、記者会見で「『また次がある』と気持ちを切り替えた」と仰ってました。
「あそこまで行ったのに、ドクターストップをかける医師も辛いし、それを受け入れた三浦さんも立派な方だ」と思ってこのニュースを見ていました。

実は5年前、三浦さんが80歳でエベレストの登頂に成功したその翌年、私は雑誌で対談させていただきました。当時、『80歳でのエベレスト登頂成功』はとても話題になりました。なぜ三浦さんが、様々なチャレンジをするようになったのかについて、私はすごく関心があり、対談ではそのことをじっくり聞きました。

三浦さんは小学校時代に結核を患い、長期間学校に通うことが出来なくなりました。その当時、義務教育ではなかった中学校を不合格になり、今で言う『引き籠り』になったそうです。その時の経験から、現在は引き籠りの子供たちなどが通う、クラーク記念国際高校)の校長先生を務めていらっしゃいます。

そして、1年間の浪人を経て中学校に入学、高校進学後はスキー部に入部しました。高校時代は青森県代表として全国大会にも出場したそうです。全日本スキー選手権大会の滑降競技で入賞、青森県高等学校スキー大会では3年連続個人優勝と輝かしい成績です。その後、北海道大学に進学し、スキー部に入部。そこからオリンピック選手を目指します。ところが、スキー連盟の幹部に盾突き、アマチュア資格を剥奪され、アマチュアスキー界から永久追放されます。現在では『パワハラ』と呼ばれるような事態で、オリンピックの道が閉ざされてしまいました。

ところがどっこい、ここからが三浦さんです。オリンピックがダメなら自力で世界に行ってやると思い立ち、プロスキーヤーを目指します。
そして1962年、アメリカの世界プロスキー選手権で、トニー・ザイラー(オーストリア)ら冬季オリンピックの元メダリストが名を連ねる大会で世界ランク8位にランクイン、1964年7月イタリアで開催されたキロメーターランセに日本人初参戦で、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立します。

その後、スキーの直滑降で富士山やエベレストを直滑降で降りるチャレンジを成功させます。生身の人間が最高時速180kmで滑走し、パラシュートで止まる大挑戦を成功させます。その時のパラシュートで止まる映像がキッカケでパラグライダーが生まれたそうです。しかし、その挑戦を見たスキー連盟は「三浦のバカがまたなんかやってるよ」と軽んじていました。

三浦さんは、私との対談の中でこんな話をしてくれました。

「登山家としては自分は臆病な方だと思います。危ないと思ったら用心深くなります。『まだ登りたい山があるからこそ、ここでは死ねない』そういう思いが登頂を踏みとどまらせることもあります。決して無理をしないということも大切だと思っています。」

まさにその時の言葉通り、今回も『次のチャレンジがあるからこそ、ここは前向きに断念』そういう事だったようです。

さて、次のチャレンジは『90歳でエベレスト登頂』だそうです。
凄いですよね。
『引き籠り』あり『日本のスキー界から追放』あり、その後『世界記録の樹立』、さらに今尚も人生のチャレンジを続けている三浦さんです。

高齢者の方々、エベレストとは言いませんが、何かに挑戦してみるのはいかがですか。


編集部より:この記事は、前横浜市長、元衆議院議員の中田宏氏の公式ブログ 2019年2月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

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中田 宏
元衆議院議員、前横浜市長

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