平成政治家ブログ小史②その時若者たちが麻生の応援に集結した!

2019年02月03日 06:01

連載第1回『「初代王者」は誰だったのか?』はこちら

2010年代前半、ウェブマーケティングの世界では、ネットからリアルに顧客を誘導することを「O2O」(Online  to  Offline)と呼びならわしたことがあった。ちょうどLINEが台頭していった時期だ。なにぶん流行り廃りが激しい世界なので、「O2O」という言葉すら忘却の彼方になっている感があるが、政治家のブログで「O2O」を体現した動きとして草分けと言えるのが、2007年の自民党総裁選での「珍事件」だった。

この総裁選は、本来は「予定されていない」ものだった。その1年前、5年半の長期政権を築いた小泉純一郎首相の後任として、安倍晋三氏が戦後生まれとして初の総理総裁に就任。党内でも圧勝だった。

しかし「消えた年金」問題を機に第一次安倍政権は窮地に追い込まれ、閣僚の不祥事も続出し、支持率が急落。2007年の参院選に自民党は歴史的大敗。過半数割れとなり、衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」となって政権は座礁する。それでも安倍首相は内閣改造でテコ入れし、9月の臨時国会冒頭で所信表明演説を行うなど続投への意思を見せたが、持病も悪化していた安倍氏は突然辞任。急きょ総裁選を実施することになった。

当初は、前年の総裁選で少数派閥の河野グループ所属でありながら、安倍氏(464票)に次ぐ136票を確保した幹事長の麻生太郎氏を有力視する向きもあった。健闘した麻生氏は「次」を見すえて新しい派閥「志公会」(麻生派)を結成していた。

しかし、如何せん16人の少数派閥。森、小泉、安倍と3代続けて首相を輩出してきた清和会(森派)は、前回の総裁選でも派閥内で待望論のあった福田康夫・元官房長官を擁立。麻生派以外の多くもこれになびいたため、少なくとも国会議員票では歯が立つ状況ではなかった。

2007年総裁選で対決した福田氏と麻生氏(Wikipediaより)

となると、麻生陣営としては、2001年総裁選の小泉純一郎氏、近いところでは昨年の石破茂氏のように国会議員票以外の党員票に活路を見出すしかない。

麻生氏はその頃、「意外」なかたちで大衆人気を増やしていた。そのきっかけは諸説あるが、ひとつは浅草キッドが政治家を直撃するテレビ番組「名門!アサ秘ジャーナル」(TBS系)にゲストで出た際、「ゴルゴ13」のファンであることを公言。さらに2006年の総裁選では、秋葉原の演説会場で“アキバのオタク”向けに漫画「キャプテン翼」の話を持ち出すなど、永田町きっての漫画好きであることがクローズアップされる。

大久保利通の血を引き、吉田茂の孫であり、麻生財閥の御曹司という絵に描いたようなサラブレッド政治家が、実は漫画好きだったというギャップ。これがネットユーザーの若者たちの心をとらえた。

そして、その時。総裁選投票日の9月23日朝。永田町の党本部前で前代未聞の事象がおこる。数百人の若者たちが麻生氏の応援に駆けつけ、麻生コールを行ったのだ。

党本部に終結した麻生支持者たち(産経新聞の動画より)

この若者たちを呼ぶきっかけの一つとなったのが、ブログだ。平成研(当時の津島派、現・竹下派)所属でありながら、麻生氏を支持していた戸井田徹・衆議院議員(当時、兵庫11区)がブログで結集を呼びかけ、それが2ちゃんねるなどの掲示板で拡散されたのだ。戸井田氏はネット上の支持者たちに時間も含めて「ガイド」している。

本日、23日は13時~14時の間に多くの国会議員は議員会館やそれぞれの最後の決起集会の会場から党本部に入ります。その時間帯に歩道の真ん中を二人がすれ違える間隔は空けて頂き議員バッチを着けて投票権のある国会議員が、ある人は車で、ある人は徒歩で、続々と自民党本部の建物に入っていきます。

因みに、我が麻生太郎陣営はホテルオークラ別館で決起集会を開き、順次アメリカ大使館まえから、総理官邸前、国会議事堂裏を通って国会図書館の信号を右折して、党本部入りします。麻生太郎幹事長には、車の窓を開けて手を振って頂く様に伝えておきます。

街宣車からスピーカーを通じてお訴えすると言うようなことはしませんが、麻生太郎幹事長を激励してやってください!麻生太郎のサポーターは燃えていると一人ひとりの国会議員に訴えてください!

戸井田氏(Wikipedia)

「布石」はあった。戸井田氏はその前日、麻生氏の演説会を新宿東口で行う際にもブログで参加を呼びかけたところ、一説には2万人の聴衆が集まるという賑わいになった。その面々の多くは、お年寄りやいかにも業界団体関係者といった、従前の選挙シーンとは異なる。演説会の熱狂をJ-castニュースが伝えていて、筆者も思い出したが、気を良くした麻生氏は、集まった若者たちをみてこう話した(J-cast記事より)。

多分自民党員ゼロよ。2ちゃんねるで(スレッドが)立ったんだろうけど、永田町にあんなに人が集まるなんて例はない。

新宿や党本部に集まった若者たちの間に投票資格をもつ党員がどれだけいたかは率直にいって疑わしい。しかし、この異様な盛り上がりが報道されたことで、麻生氏の人気と存在感を見せつける一定の効果は、国会議員たちにもあったのは間違いない。

新宿東口の演説(戸井田氏のブログより)

総裁選の投票箱を開けてみれば、麻生氏の197票に対し、福田氏が330票で総裁に当選。国会議員票では132票対254票と予想どおりに引き離されたが、地方票は65票対76票と迫った。もともと16人しかいない少数派閥の長としては、健闘したと言える。開票後の記者会見でも麻生氏の表情には敗者の面影は微塵もなかった。そして笑った。

「自分の信念に従って麻生に入れた人がいなきゃ、132人も(国会議員票は取れない)……。おれんとこ(麻生派)16人しかいないんだぜ、フッフッフ」
出典:2007年9月24日  毎日新聞

この一連の「麻生コール」現象は、マスコミも注目し、ブログできっかけを作った戸井田氏のところには週刊誌からも取材が相次いだ。「ネットの力に驚いた」と直後は感嘆していた戸井田氏だったが、その後に掲載された記事の多くが「オタク票」という切り口だったことには苦言を呈している

「オタク」と決め付けてのレッテル張りのような記事でしたね。おかげで仲間の議員からも蔑まれたような笑いの混じった顔付で何人かに声を掛けられました。私も向こう側でなくこちら側にいる事を実感しました。

と述べた上で、

昨日の書き込みを見ているとマスコミの世界も改革の波が押し寄せているようですので、いずれこの流れは急速に進む事と思います。固定電話による世論調査も偏った一部の世論でしかない事を認めるべきときが来ているように思います。

戸井田氏はその後、民主党政権が誕生した2009年衆院選で落選、2年後に病気を理由に政界を退いた。いまもネットに残るfcブログは現在のおしゃれな政治家ブログと比較してもあまりに素朴なインターフェイスだが、政治とネット、ブログの関係性に新境地を拓いた頃の熱気はたしかに伝わってくる。(続く)


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新田 哲史
アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長

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