フランス王アンリ7世崩御とジャン3世の男系継承

2019年02月04日 17:00

アンリ7世(公式サイトより:編集部)

フランスの王位請求者であるオルレアン家のパリ伯爵にしてフランス公アンリ・ドルレアン(Henri d’Orleans)、ひと呼んでアンリ7世が崩御してその葬儀が2月2日にドルー(Dreux)のサン・ルイ王室礼拝堂(Saint-Louis Royal Chapel)で営まれ、各国の王族らが参列した。

死去したのは1月21日で、1793年にルイ16世が処刑された日だった。

アンリ7世は1933年ベルギーで生まれ、モロッコやスペイン、ポルトガルで幼少期を過ごした。王政復古期の1830~48年に王位に就き、最後のフランス国王となったルイ・フィリップ1世(Louis-Philippe I)の子孫であり、19世紀に王政が廃止された同国の王位請求者だった。フランス王家は987年即位のユーグ・カペーから男系男子嫡出で継続している。

側室がいないと男系男子は無理とかいう愚か者がいるが、フランス王家は男系男子、それも嫡出限定で1000年以上も継続している。遠縁でもいいと割り切れば大丈夫なのであって、それが困難になるのは、自分の子孫とかそれに近いところに女系でもいいから王位継承を限定したいという君主やその取り巻きが現れて騒動が起きたときだけであるのは古今東西共通だ。

アンリ7世の死去により、新たな王位請求者は息子のジャン(Jean d’Orleans)氏となる。

その間の事情は拙著「愛と欲望のフランス王列伝」(集英社新書)に詳しいので、その抜粋を掲げておく。

フランスでは、七月革命(1830年)によってブルボン本家のシャルル10世が追放され、ルイ14世の弟オルレアン公の子孫であるルイ・フィリップが「フランス国民の王」となった。ところが、二月革命(1848年)でそれも追放され、第二帝政となった。

普仏戦争で皇帝ナポレオン3世が失脚したのち行われた総選挙で選ばれた議会では、王政復古派が多数を占めた。このときに、ブルボン家かオルレアン家かという問題があったが、ブルボン家のシャンボール伯アンリに子供がなかったので、まず、ブルボン本家、そのあとオルレアン家ということで話し合いは着いた。

「奇跡の子」と呼ばれたアンリ・ダルトワ(Wikipedia)

このアンリは、シャルル10世の次男ベリー公フェルディナンドが暗殺されたのちに生まれたので「奇跡の子」と呼ばれていた。シャルル10世の長男は、ルイ16世とマリー・アントワネットの娘マリー・テレーズと結婚していたアングレーム公ルイだったが国民に不人気だった。そこで七月革命の混乱のなか、祖父シャルル10世の指名でシャンボール伯アンリが即位しようとしたが果たせず、亡命生活送っていたのである。

このときの大統領は王党派のマクマオンであり、彼はアンリを即位させるつもりだったのだが、この計画は思わぬ難問に突き当たった。アンリがどうしても「三色旗」を国旗として受け入れなかったのである。たったこのことだけで、「アンリ5世」は幻に終わり、人々は、ブルボン朝の祖アンリ4世の大胆さとの対比を笑った。

もっとも、この拒絶には妻のマリー・テレーズ(モデナ公の娘)が、社交的でなく、容姿も優れず耳も遠かったので、王妃となることに積極的でなかったことも理由といわれる。シャンボール伯は、その妹のマリー・ベアトリスに惹かれていたが、彼女が、のちにフランス王位要求者ともなるスペイン王国のモンディゾン伯ファンと結婚したので、仕方なく姉と結婚したとされる。

そのシャンボール伯は1884年にオーストリアで亡くなり、その墓は現在スロヴェニア領となっているアドリア海に面した町ゴリツィアにある。こうしてブルボン本家は断絶してしまったので、正統王党派(ルビ=レジティミスト)の多くもオルレアン派に合流。二月革命より前に父ルイ・フィリップ王が亡くなっていたことで、王太子だったことがあるパリ伯フィリップが王位要求者となってフィリップ7世を名乗った。「パリ伯」は、いうまでもなく、カペー家の先祖の称号である。

その子供は、英国で生まれてシチリアで死んだオルレアン公で、「フィリップ8世」(1869−1926年)と呼ばれた。だが、男子がなかったので従兄弟のギーズ公がジャン3世(1926−1940年)として跡を継いだ。

外人部隊の従軍経験があるアンリ6世(Wikipedia:編集部)

第二次世界大戦中には、久しぶりにフランス生まれで「アンリ6世」と呼ばれたパリ伯アンリがフランス外人部隊に入隊して戦った。アンリ6世は長男が離婚したことを怒って継承権を剥奪するとして争ったりしたが、のちに勘当を解いて、現在の当主であるパリ伯とフランス公を兼ねるアンリ7世が継いだ(1999年)。

その子供がクレルモン伯フランソワ(1961年生まれ)であるが、彼は生まれつき知的障害があり、弟のヴァンドーム公ジャンが後継者になった。14世にジャン2世がいるのでジャン3世ということになる。彼はその母方祖母からシャルル10世の血も受け継いでいる。

フランス王位請求者としては、もうひとりルイ20世がいる。スペイン王家の一員であり、独裁者フランコ総督の曾孫である。これは、スペイン継承戦争のユトレヒト条約で、スペイン王家がフランス王位継承権を放棄するとしたのが無効であるという主張に基づく。現スペイン王はフランス王位を要求していないので、分家が要求している。ルイ14世の男系男子子孫である。また、スペインだけでなくルクセンブルク大公家もユーグカペーの男系男子嫡出子孫である。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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