日本にリベラルは不要:細野豪志議員は「寛容な保守」を追求せよ

2019年02月05日 06:00

「寛容な保守」とは何か

無所属の細野豪志衆議院議員が自由民主党の志帥会に入会した。

志帥会入会にあたって(細野氏ブログ:アゴラ)

細野氏ブログより:編集部

同会の会長たる自民党幹事長・二階俊博氏は同党の実力者であり細野氏の入会は自民党入党の準備行動ではないかと噂されている。

筆者は細野議員の選挙区の人間ではないし、氏がいる政界も全くわからない。

細野議員と言えばやはり「民主党」の印象は強く、最近で言えば「希望の党」創立に関わった議員であり同党の分党に伴い無所属議員となったという認識である。

その細野議員は三大政治理念として以下のものを掲げている。

  • 内政は弱い者の立場にたつ
  • 多様性(ダイバーシティ)を大切にする
  • 外交安保は現実主義に立つ

(上記ブログより抜粋)

筆者の関心は細野議員が希望の党の創立の関係者であり同党が「寛容な保守」(1)※を掲げた点にある。

希望の党に所属していた細野議員にとって「寛容」とは「弱い者の立場にたつ」と「多様性(ダイバーシティ)を大切にする」を意味し「保守」とは「外交安保は現実主義に立つ」を意味し両者を併せて「寛容な保守」と称していたのだろう。

分党し結党当初とは全く別物になってしまった希望の党について議論することは憚れるが同党が掲げた「寛容な保守」は考究すべきものだと考える。

「保守」=「現実的な安全保障政策」ではない。

戦後日本では憲法9条を改正して憲法に軍隊の保有を明示したり集団的自衛権の行使を解禁したりすること、要するに「現実的な安全保障政策」を掲げることが「保守」と思われがちだが、これは正しくない。この程度の政策を掲げることが「保守」であるはずがない。

外国で軍隊の保有や集団的自衛権の行使の解禁の是非が論争になることはない。

「保守」=「現実的な安全保障政策」ではない。

それでも「保守」を自称する者のほとんど全部が「現実的な安全保障政策」を掲げているのではないかと思う方も多いと思われるが、これは戦後日本の特殊現象であり、要するに「現実的な安全保障政策」は「保守」が主体的に責任を果たしているに過ぎない。

だから「現実的な安全保障政策」を掲げたからと言ってその者が直ちに「保守」に該当するわけではない。「現実的な安全保障政策」は「普通の国」や「国際協調」を志向する者でも掲げられる。

融通無碍的保守

日本の保守の最大の特徴は原理的思想がないことである。保守の立場で皇室を否定するものはいないが、一方で皇室は思想ではない。海外の保守とは雑駁に言えば宗教であり欧米ならキリスト教である。欧米ではキリスト教的価値観への姿勢が「保守」「リベラル」を決めている。そして外国の宗教には聖典を持つものが多い。この「聖典」が決定的に重要である。聖典がある、もっと言えば「守るべき文章」があるという事実は保守の政治・社会運動に活力を与える。

守るべき文章の存在は「聖典にはこう書いている」「聖典には書いていない」といった具合で実にわかりやすい。

しかし日本の保守には聖典と呼べるものはない。皇室と深い関係にある宗教は神道だがこれも聖典と呼べるものがない。だから日本の保守はある意味「緩い」とも言える。

もともと日本は「無思想こそ思想」と呼ばれる風土であり強固な思想は確立しなかった。

大陸に原理的思想があっても日本は島国だからその流入も限定的で容易に土着化する。

そのためか歴史的に見ても日本の政治機構は強力な中央集権ではなく連合を基礎とし、例えば天皇は権力が無力化され終には祭祀的儀礼的存在となった。武家政権も徳川幕府成立までは中央政権は決して強力とは言えず強力だった徳川幕府も「藩」の存在を認める分権的政治体制であった。日本は政治も宗教も総じて「緩く」また「融通無碍」だった。

このように融通無碍が容認される風土では保守もまた融通無碍である。融通無碍的保守は「強さ」「活力」を感じられず否定的に評価されることが多い。

しかし日本の保守は融通無碍であるからこそ自由・平等・寛容といったリベラルな思想を吸収できた。皇室の存在さえ否定しなければ日本の保守はリベラルの価値観を決して否定しない。戦後「保守政党」たる自民党が長期政権を維持できたのも融通無碍的にリベラルな思想を吸収してきたからである。

戦後の一時期に「総中流社会」が建設できたのは自民党がリベラルな思想を吸収した結果と言えよう。

もちろん積極的にリベラルな思想を吸収・実現してきたわけではないが、むしろ慎重にリベラルな思想を吸収・実現することで既存の思想・制度との調和が図られ無用な摩擦も避けられた。

このように日本の保守はリベラルを包含し、リベラルが保守の内部に留まっているからこそ、その実現手段も穏健になる。だから現在、欧米で猛威を振るっているいわゆる「ポリティカル・コレクトネス」も日本では穏健なものに留まっている。

このようにリベラルを包含した保守は「寛容な保守」と表現できるだろう。

希望の党がどういう経緯で「寛容な保守」を掲げたか知らないが、日本の保守の特徴を捉えているのは間違いない

日本にリベラルはいらない

日本の保守は融通無碍でリベラルを包含しており、このことは日本でのリベラルの存在意義を奪った。更に日本のリベラルは「万年野党」の立ち位置を選択したため攻撃性が増し大衆的支持も失い、もはや「リベラル用語を駆使する『こんな人たち』」にまで成り下がった。

保守がリベラルを包含し政権与党を担当し満点ではないが、基本的に社会が成立しているならば日本においてリベラルは不要という評価ができる。

筆者が細野議員に期待することはかつて所属した希望の党が示した「寛容な保守」を積極的に掲げ、その具体化を推進していくことにある。

細野議員は民主党・民進党といった「保守」「リベラル」が混在した政党に在籍していた経験がある。氏は政界の日本型リベラルを間近で見てきたはずである。

自民党議員が「日本にリベラルはいらない」と言えば傲慢不遜に映るが日本型リベラルと「共闘経験」がある細野議員が「リベラル不要」の主張をすればそのインパクトも大きい。

だから細野議員は「寛容な保守」を積極的に掲げ、その具体化を推進し「私達だけで間に合います」と主張していただきたい。

「寛容な保守」が確立し「リベラル」という言葉の訴求力が失えば日本の政治・社会において「保守」「リベラル」の対立軸は消滅し実際的な政策論議ができるようになるだろう。

筆者としては今後、細野議員が「寛容な保守」を大事に育てることを望む次第である。

脚注

※細野氏の当時の発言、正確には「寛容な、改革の精神に燃えた保守」

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