外国人労働者雇用の課題は文化と制度、言葉の壁 --- 藤井 善将

2019年02月06日 06:00

筆者の研究している地域は、日本における外国人労働者の主要な出身地域であり、投資先としても注目を浴びる東南アジアである。この記事ではこれからの日本が公正公平な賃金体系を採用する前提で、彼らとの社会的調和がなされるうえでどのような課題があるかを述べるものである。

筆者がアゴラに今年投稿した記事の「外国人に雇用を脅かされた日本人労働者からの警鐘」で、ベトナム人労働者が大多数を占めていた日本企業にリストラされたA氏を通じて扱ったミクロの視点から、日本と海外の社会・文化・制度間で生じる違いといったマクロの視点に移りながら、外国人労働者の受け入れに立ちはだかるであろう、いくつかの課題を述べる。

リストラされたA氏と外国人労働者

A氏はいう。彼は技能工として、リストラ直前まで社内で独り汎用旋盤を操作していた。同僚として働いていたベトナム作業員は例外なく危険の少ないNC(数値制御)旋盤に割り当てられていて、汎用旋盤の操作のような危険な仕事を嫌厭する傾向があった。最終日まで汎用でしかできない仕事が来て忙しく、これがクビになる人物とはとても思えない状況だったという。

A氏以外の日本人作業員は全員閑職の軽作業に配置され、リストラ当月に日本本社の朝礼にて、人事異動の辞令としてベトナムにある支社から二人の作業員が補填されるのを告げられた。そして新設備導入とともに、それまで技能を要する汎用旋盤を操作していた技能工は解雇された。その後、本社の幹部には複数名のベトナム人社員に辞令が下り幹部候補となり、対照的に日本人社員はリストラの憂き目に遭っていた。加えて、生産活動も納期遅れと不良品を多発し、製造現場の作業成果は良くないと毎度朝礼で強調された。

しかし退職する頃には日本人幹部は来なくなり、ベトナム人労働者のおしゃべりやスマホ操作が目に付くようになって、「これが社の理想ということらしい」とA氏は言っていたのが印象だった。朝礼はどれほど伝わっているだろうか?ほとんど片言しか日本語しゃべれないのに、それが幹部になっていく。

これは筆者の知る一例であるが、外国人労働者受け入れにとっての大きな課題は「価値観の多様化」、あるいは従来「グローバル化」として叫ばれてきた社会現象に端を発する。

文化と制度、そして「言葉の壁」

労働者を受け入れる以上、彼らが海外で身に着けている常識や習慣を無視することはできない。特に問題になるのは、日本と海外の社会間で生じる常識や習慣の違いである。

それを便宜的に数値化して比較する際、筆者はホフステード・インサイツが発表するホフステード指数を引用したい。これはヘールト・ホフステードの国民文化研究を元にしており、6つの軸からなる。

まず、筆者が最も注目したのは「集団主義vs個人主義」の側面であり、このスコアが高いほど個人主義傾向の文化とされる。100(個人主義)を満点とし、日本のスコアは46であり、ほぼ中間に位置しているのに対し、ほかのアジア諸国、例えば中国やインドネシアといった国々の多くが20以下(集団主義傾向)を示している。

大家族(母方・父方の祖父・祖母などを家族にもつ)の伝統を特徴とする中華圏や、ゴトン・ロヨンという互助精神が根付くインドネシアのジャワ島など、自己を家族や社会といった集団の一員として強く位置付ける習慣もある。ビジネスにおいても、規則や目標の遵守より人間関係の調和や維持を重視する場合がある。

時としてその価値観から生まれる文化は、日本に住む筆者たちが日常の常識とする範疇に入らないものもある。そのため現在の日本企業は海外進出や現地生産を展開する中で、取引先の現地法人や関係業者との交渉を行い、その独特な商習慣に戸惑うことも少なくない。これは外国人労働者が日本で仕事をする場合でも、同様のことが言えるのではないか。

文化の違いだけでなく、制度の違いも乗り越えるべき壁である。

在日外国人が取得する検定・資格の例として、日本語検定や普通運転免許があげられる。これらは、日本で改めて受検しなければならないケースが多い。また2019年1月、三重県にあるいくつかの運転教習所では中国語による教習が始まっており、このことが日本における免許制度の国際化といえるだろう。

A氏の前会社では特に日本語検定の取得を求めていたが、実情として社員の構成比率がベトナム人3対日本人1(幹部含)となっており、そもそも日本語の重要性が低下していた。このジレンマは、資格・検定が従来国内で通用してきた制度の延長線上にあるためだ。仕事上、すでに現場で日本語が話されることは無く、困ったら話せる同僚に「通訳」してもらえればいい。困らないのだ。

日本語がわからない作業者による「日本現地」(注:本社のこと)工場で果たして必要な情報交換は難しいだろう。A氏は、すでに、日本人管理者と、ベトナム人作業者とはつながっていないといっていた。これが現実の状況である。

ここで「言語の壁」を根本的に克服する必要がある。というのは、社内公用語を(日本人社員が多数の場合)多数派の日本語とするのか、逆に(日本人社員が少数の場合)多数派の外国人労働者の母語とするのか、実はここに落とし穴があるからだ。

実は、社内公用語を多数決のように決めてしまうこと自体が業務に差し障る。なぜならそれは自ら「言葉の壁」を生みだす行為だからだ。もし公用語が英語であれば、少なくともアジア出身の従業員にとってほぼ等しく「外国語」となり、全員が平等にそれを学ぶ必要がある。総社員に占める多数派の便宜を図るかのように公用語を定めるのは、かえって社内に格差と疎外感を生じさせることといえよう。

その点で、いわゆる「○○(地名)のシリコンバレー」として知られる都市では、英語が社内公用語として通用しやすいことも念頭に置く必要がある。例えば、アジアにおいてはインドのバンガロールや中国の深センである。

結論

日本が外国人労働者を受け入れ次世代の経済大国を自負するには、少なくとも以上に掲げたようないくつかの課題に取り組まなければならないと、筆者は考える。もし外国人労働者受け入れが将来に大きな貢献を果たすのなら、その必要事項として日本が抱える諸問題に向き合っていくことが肝要ではないだろうか。まして受け入れが及ぼす社会への影響で、好ましからざるものに対しては、粛々と解決していくべきではないだろうか。


藤井 善将 南山大学外国語学部
東南アジアに展開する企業との翻訳・通訳業務を通じて、海外のビジネス事情を分析。人工知能学会に所属し、ITなど技術革新もキャッチする。

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