ジャーナリズム改革は国民の権利である

2019年02月11日 06:02

事実を報道せず「創ろう」とする

首相官邸による官邸記者クラブへの「事実を踏まえた要請」の波紋はまだ続いているようである。
既に指摘したように新聞労連は声明を出し、また朝日新聞は社説で首相官邸の対応を非難した。

(社説)官房長官会見 「質問制限」容認できぬ(朝日新聞デジタル)

まず事実関係を整理すれば内閣官房長官による定例の記者会見を主催しているのは首相官邸ではなく記者クラブである。主催者は記者クラブだから首相官邸に質問を「制限」することはできない。だから「要請」なのである。

もちろん首相官邸による「要請」は異例だが焦点となっている東京新聞所属の望月衣塑子記者もまた「異例」なジャーナリストだから首相官邸の「要請」を直ちに批判することはできない。

望月氏ツイッターより

彼女のジャーナリストとしての「権力監視能力」は相当に疑わしく、単なる自己正当化の方便として「権力を監視する」と力強く主張している印象が強い。

望月氏の「権力監視能力」はネット上では最大の関心時であり、それもあってか彼女を擁護する記事も出てきた。

望月衣塑子記者の質問は「無駄が多い」「自分の意見を述べ続ける」は本当か? 信号無視話法分析で検証(ハーバービジネスオンライン)

この記事では沖縄県の辺野古基地を巡る望月氏の質問を根拠に彼女のジャーナリストとしての「適性」に合格点を下している。しかし妙である。望月氏が注目されたのはここ最近の話はない。大雑把に言えば森友・加計学園騒動が盛り上がった2017年6月ぐらいからである。

彼女のジャーナリストとして「適性」を評価するにはその時点まで遡って検証しなくてはならないはずである。ある一部分を切り取り、それを強調し全体に判定を下す姿勢はとても支持できない。

またこの擁護記事を読んで問題だと思ったのは、彼女は昨年の沖縄県知事選で勝利した玉城デニー氏を「圧勝」と表現していることである。

昨年の沖縄県知事選挙では玉城デニー氏と佐喜真敦氏の両者が事実上、争ったわけだが有効得票数に占める両者の割合を比較した場合、玉城氏と佐喜真氏の比率は大体において55:44である。(1)玉城デニー氏側は勝利したとはいえ55%は圧勝ではない。

同時期、実施された自民党総裁選では安倍晋三氏と石破茂氏の地方票の得票比率は55:45であり沖縄県知事選挙の比率とほぼ同じである。ところが自民党総裁選挙では「45」の数字を強調して「石破氏善戦」(2)と評したジャーナリズムもあったほどである。同時期に行われたもので同じ「55」なのに取り扱い方が全く異なるのはなぜなのか。

繰り返しになるが55%は「圧勝」ではない。数字の評価を歪めることは極めて問題がある。そして数字の評価を歪め自説を主張する望月氏から窺えるのは、彼女は「事実を報道せず創ろう」としている。

何よりも玉城デニー知事は正真正銘の権力者であり彼に「肩入れ」する姿勢は望月氏が拘る「権力を監視する」姿勢とも矛盾する。このように擁護記事をもってしても彼女の「権力監視能力」への疑問は消えない。
むしろ「ますます疑惑が深まった」というやつである。

典型的な既得権益

筆者は望月氏を貶める意図はなく彼女のエネルギッシュな行動は別の分野に取り組んでいただければ良いと考えている。少なくとも今、彼女の関心にある辺野古基地、加計学園では彼女の個性は活かせない。

望月氏を見ていつも思うのは新聞社の人材の適性配置についてである。
新聞社に限らず組織で人材の適性配置がなされない最大の理由は人材の適性配置がなされなくてもその組織に悪影響がないからである。人材の適性配置がなされなくても悪影響がない組織。それは要するに競争に晒されてない組織である。

既存のジャーナリズムには「公共性」を理由に各種優遇措置が認められている。新聞社は独占禁止法の一部適用除外(再販制度)が認められており、テレビ局も総務省の裁量行政に基づき電波を割り当ててもらっているため総務省との距離は極めて「近く」事実上、一緒になって新規参入を妨害している。

もちろんジャーナリストには「フリー」の者もいるが主体はやはり新聞・テレビである。
だから日本のジャーナリズムは典型的な既得権益を主軸に成立していると言える。

「報道の自由化」を通じてジャーナリズムの世界に競争原理を導入することはジャーナリストの質を向上させるはずである。それはジャーナリズムの「権力監視能力」の保障を意味する。

ネット・メディアの拡大により情報伝達のインフラはかつてないほど巨大化しているし、この傾向は今後も続くだろう。だからジャーナリズムは「量」とか「規模」ではなく「質」を追求すべきである。

「100人の望月衣塑子より1人の立花隆」の方が権力者ははるかに肝を冷やす。

報道記録の公開の推進を

「報道の自由化」はジャーナリズムの「権力監視能力」を保障するものである。
一方で「報道の自由化」を進めたら新聞社・テレビ局の淘汰が進むのは確実である。両者とも完全な斜陽産業であり、特に新聞社の経営は相当に厳しい。新聞の部数の減少はときおりネットで話題になる。

要するに「報道の自由化」でまず起きることは新聞社・テレビ局関係者の減給・削減(失業)であり、それは彼(女)らの生活に直結する。

世界のジャーナリストは文字通り「命」を懸けて「事実」を追求している。
だから減給・失業のリスクぐらい受け入れるべきだ…と言いたいところだが筆者は基本的に失業リスクのない公務員である。公務員が他人の減給・失業を求めてもまるで説得力がないし公務員だからこそ他人の減給・失業を求めてはならないと考えている。

では他にどんな手法でジャーナリズムの「権力監視能力」を保障するのか。
それは新聞・テレビが過去に何を報道してきたかということを公にすることである。「記録」とは現在の自分を律するものである。だから過去のジャーナリズムの報道が容易に検証できるインフラの整備が必要である。

新聞は過去の記事が「縮刷版」として図書館に配架されているが一般になじみがない。
また過去の紙面を写真で表示するだけでは不親切である。記録とは容易に活用(引用)できてこそ意味がある。
だから新聞の過去の記事をデータ化し無料でネットに公開すべきである。

またテレビの報道記録の公開はほとんど進んでいない。
NHKは限られた施設で公開しているが民間放送は未公開と言っても良い(3)

「動画」の影響力を考えればテレビの報道記録を公開・閲覧できるインフラ、いわゆる「放送アーカイブ」の整備が最も求められる。

また技術的課題があるだろうかテレビの報道記録もネットで公開・閲覧できる体制を目指すべきである。
新聞・テレビの報道記録の公開には膨大なコストがかかるだろうが行う価値はある。税金を投入してでもやるべきである。
新聞・テレビの報道記録が公開され容易に引用できるようになればその反響は絶大に違いない。

「自民党分裂直前に久米宏はこう発言していた」
「拉致問題の時に筑紫哲也はこう発言していた」
「麻生政権の時に田原総一郎はこう発言していた」

これらが国民に共有されるだけでもジャーナリストも律され増長せず真摯に事実を追求するようになるだろう。
ジャーナリズムは民主主義社会に不可欠なものである。だからこそ主権者たる国民はその改善・改革を行う権利を有する。

本稿では「報道記録の公開」という必要最小限の改革案を提示した。これはジャーナリストにとってリスクかもしれないが減給・失業を伴わないリスクすら受け入れらなければジャーナリズムに待っているのは間違いなく「喜劇」だろう。

脚注
(1) 沖縄県選挙管理委員会より引用
有効投票数 720,210 得票数 玉城デニー 396,632 ささま敦 316,458
(2) 安倍首相、自民総裁3選 石破氏善戦、地方票の45%(朝日新聞デジタル)
(3)「テレビ局の偏向報道是正に「電凸」より遥かに有効な手段とは」(ダイヤモンドオンライン)を参考にした。

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員

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