松戸登校拒否:解決策は学ぶが、問題自体からは学ばなくなった

2019年02月18日 06:00

画像はイメージです(写真AC:編集部)

第一次世界大戦を議論する番組に出演していた歴史家が、「我々は歴史の教訓は学ぶが、歴史自体は学ばなくなった」と発言していた。タイトルはその言葉をもじったものだが、千葉県・松戸市立松戸常盤平第一小学校の児童が登校拒否になった事件を知って思いついた。

仏教の四苦八苦を持ち出すまでもなく、人は生きているかぎり、悩みから解放されることはない。しかし人生の問題に一つ一つ対処していくことはできる。そのためには問題が起きた原因を解明しなければならない。

ネットに上げられた音声から分かることは、教頭と担任の教師は暴力の連鎖を断ち切るためには「やられてもやり返さない」という精神が必要だと考えていることだ。登校拒否になった生徒からの反論を一切許さなかったのも、その精神に反すると判断したからだろう。それにしても、この2人の教員に共通する「頑なさ」は一体、どこから来るのか。おそらく彼らは問題が起きることは不自然で、自然の状態を回復するためには、自然の流れを乱す者を排除しなければならないと考えていたからだ。

本来、解決策とは問題の原因を分析して考え出すものだ。それが私はこの問題の解決方法を知っていると唱える人たちが世間の注目を浴びるせいか、いつのまにか解決策だけが一人歩きし、問題自体には目を向けなくなった。

集団生活には困難が伴う。すべての生徒に注意を払うことは非常に難しい。だからこそ、問題を通じて生徒の性格や考え方を理解することは大事なのだ。問題が起きることは不自然だという考え方は、解決策を振り回す人を大量に生み出し、社会をこう着状態に持っていくのではないか。

最後に、ユダヤ教の知恵を紹介する。

「答えを知っていると思う者は、何も学ばない」

小谷 高春   翻訳家
沖縄県在住

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