沖縄県民選挙の声の上げ方

沖縄で行われた辺野古移転に関する県民投票は反対が7割を超えていると報じられています。投票権者は115万人強で投票率は52.48%でした。つまり60万人が投票し、その7割、42万人が反対票を投じたということになります。玉城デニー知事は投票権者の25%である29万人程度が反対票を投じれば「考慮するに十分値する」と考えていたようですので、安倍首相及びアメリカ政府にしかるべきボイスを届けるというステップを踏むことになるのでしょう。

個人的には違和感がある県の政治家、行政を挙げての反対運動でしたが、結果は結果として尊重します。賛成派が盛り上がらなかったのは事実なのですから。ただ、この行動が現代の民主主義という傘に隠れた自己主張の押し出しであったことは日本の統一感の維持に暗雲をもたらす障害となる懸念を感じないわけにはいきません。

(沖縄県名護市辺野古 写真AC:編集部)

(沖縄県名護市辺野古 写真AC:編集部)

日本はほぼ単一民族であり、他国のような民族闘争が自国内でほとんど起きない、というアドバンテージは大きな意味を持っています。どの国も民族間の対立を抑えるために長い年月をかけて「腫れ物に触るような」対応を続けてきています。この対応を間違えると内戦など収拾がつかない事態になったのも歴史が語るところです。

沖縄を民族的にどう捉えるか、これは学者マターでありますが、(琉球人の起源が日本の本土民の移住であり、中国や台湾からの流れではない点を考えれば個人的には日本と同一民族だと考えています。)歴史的には明らかに本土とは違う道を歩んできています。琉球王国が中国と冊封関係を結び東シナ海での貿易で繁栄を築き、独自の文化、経済、社会を築いたものの江戸時代にようやく、鹿児島の島津藩が付庸国とし、日本が沖縄を本格的に意識し始めたのは明治時代に入ってからであります。

先の大戦においては確かに沖縄における不幸はありました。しかし、日本全土という意味では広島や長崎の原爆も東京などの大空襲もあったわけで沖縄だけを特に取り上げるのは違和感があります。その後、復興という中で沖縄を含め、日本は一斉に再スタートを切ったのもこれまた事実。北から南まで長い日本の国土を復興させるのは大変な労力と時間と人々の忍耐があったはずです。そして政府は決して特定のところをトカゲの足切りのように不幸に陥れるようなこともしませんでした。

政府が今回、注力したのは普天間の住民の安全の懸念を取り除くための代替案でした。ではなぜ普天間基地のそばに住宅が密集したかといえば戦後の復興期において普天間の周辺は地雷の撤去などが進んでおり、そこが安全とされたから、というのがもともとの理由でした。

政府は国民の平和と安全を守ると同時に外交などを通じて軍隊を持たない日本を如何に守るかという別次元の安全保障も考えなくてはいけません。このバランスは一筋縄にはいかず、どちらかをとればどちらかがうまくいかないという厳しいかじ取りを要求されます。

「反対」というのは簡単です。しかし、どう解決していくのか、その実行可能な具体的で建設的な案が出されたのか、といえばそこは聞こえてきません。今回反対を投じた人からすれば「そんなのは政府が考えればいいだろう」ということでしょうか?

沖縄は観光地として最近、更に賑わいを見せていると言われます。政府と県の厳しい関係に対して多くの本土の人はほぼ無関心を装います。同じことは対韓国にもいえ、訪韓する日本人はどんどん増え、今や第三次ブームとも言われています。

経済や人的交流がより活発化する中で微妙なマインドのクラックが生まれてきていることは残念です。SNSなどが普及する中で人心が十分な検証もなく、うわべの賛成反対で「思い込みのバリア」を築く現代社会に一種の恐ろしさを感じざるを得ません。判断を間違えると英国のような試練となることも肝に銘じておくべきでしょう。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年2月25日の記事より転載させていただきました。