もうすぐ、あの日から8年:被災者とPTSD

中村 祐輔

あと3日で大震災から8年になる。数日前のニュースで、被災地で独居老人の孤独死が続いているとの報道があった。こんな状況は予測されたことだ。家族を失い、家を失ったご老人には大きなストレスがあったはずだ。震災後、津波被害者の健康管理に重点を置くことを申し出たが、当時の政権に当事者能力が欠落していたのか、私に能力がなかったのか、何もすることができなかった。

津波で船が街中に運ばれた被災地(宮城県石巻市、写真AC):編集部

共同研究を通して、タイ・インドネシアでの津波被災者の約20%がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を起こしていたと聞いていた。症状の軽重はあったとしても、この数字は無視できない数字だ。震災後、南相馬市を訪問して体育館を訪ね、多くの方々が段ボールで仕切られた狭い空間で生活している姿を見た。

船が田んぼの中に残されていた模様も衝撃的であったが、体育館の姿には言葉を失った。帰京後、心のケア、健康モニタリングなど、この方々に何か貢献したいと思い、30万人の津波被災者の健康調査を始めるために行動したが、力及ばず、何もできなかった。政治家や役所に話をしたが、自分の無力さが悔しかったし、悲しかった。

この時期になって、被災地の様子が報道されるたびに、胸が締めつけられる。そして、国会でのワイドショーレベルの低い質問を見て、胸糞が悪くなる。偉そうに質問しているあなたたちは、あの時、どんなことをしたのかと大声で叫びたくなるのだ。あのような大惨事のさなかでも、悲しいかな、「自分の次の選挙のため」が行動原理の政治家が多かった。

そして、震災復興として膨大な予算が使われたが、本当に意味があるのかどうか、疑問符が並ぶ。某大学に多くのシークエンサーを購入することと、被災地の健康調査、どちらが重要だったのか、今でも大きな疑問だ。復興に名を借りた予算の流用ではないのか、胸に手をあてて考えて欲しいものだ。

家族を失い、家を失い、故郷を離れて、健康を害し、孤独でこの世を去っていったご老人の悲しさ・寂しさを思い浮かべると、居たたまれない思いで胸がいっぱいになる。そして、あの時にもっと踏ん張って、利権まみれの政治家や役人を少しでも説き伏せていれば、こんな孤独死を少しでも防げていたのではなかったのか、自責の念がこみ上げてくる。おそらく、これは私のPTSDかもしれない。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2019年3月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。