もがく社会

最近のニュースを見ていて「何か変だ」と感じている方はいらっしゃるでしょうか?例えばこの一両日だけでも

北朝鮮のミサイル施設の再稼働準備、大阪のW選挙、LIXIL創業家の傲慢、フェイスブックのプライバシー重視製品の開発…

写真AC(編集部)

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一見何ら関連がなさそうなのですが、どれも自己防衛のための目先の対応に見えるのです。何故自己防衛をしなくてはいけないか、といえばかつて以上にSNSなどで必要以上のボイスが入ってくることで防戦に苦しんでいるのでしょうか?つまり、経営者も政治家も対パブリックという巨大でかつ、利害関係がどこまであるかわからない相手とも戦う、と申し上げたらよいでしょうか?

菅官房長官と東京新聞の望月記者の犬猿の仲に関して14歳の中学生が望月記者を助ける署名活動をすることが話題になっています。感触としてはこの中学生とその母親がペアを組んで動いているように見えます。中学生が純粋な気持ちで関心を寄せるのは良いことでありますが、様々な関連者がいて多方面からの検証が必要な中で一部だけを取り出して「これはおかしい」と強調することで世の中の趨勢にいらぬ色をつけることが簡単にできるようになったことに注目しています。

短絡的になった、これが私の感じる最近の社会です。国会でも野党の追及が重箱の隅を突っつくようなことばかりで相手に本当の打撃を与えるような質問はなかなか出てきません。閣僚の失言を肴にすぐに退任要求をするといった単純明快な展開にもう誰も刺激も感じなくなってきています。

これはそのような話に乗じるメディアの質の問題にもつながるのでしょう。日本の新聞は高級紙がなくて主要新聞は一般紙と言われています。その下にタブロイド紙というカテゴリーがあります。日本ではスポーツ新聞や夕刊〇〇がそのたぐいだと思います。基本的には主題よりも興味をそそるかどうかという判断に編集者の嗜好性が見て取れます。

テレビのワイドショーではコメンテーターが4-5人並んであぁでもない、こうでもないと意見を述べるのですが、だいたいいつも同じ顔ぶれでかつ、専門家は一人ぐらいしかおらず、あとはタレントなどが時として外しまくるコメントを公共放送で垂れ流ししています。

つまり、世の中情報の捉え方と伝え方がプロフェッショナルではなく、メディアの都合で視聴率につなげられるよう大衆的にしているところに特徴があります。最近すっかり落ち目になった週刊文春がかつてサプライズを提供することで売り上げ増を示したことも背景にないとは言い切れません。しかし、同誌のブームが去ったのは私の感覚としては小室哲哉氏の報道と新谷編集長の退任からではないかと思います。つまり、読者への刺激のはずが自分のところにブーメランのように返ってきたのでしょうか。

もがく社会の背景には情報がいとも簡単に集めらえる中、それを多方面から検証したものが少なく、表面的な面白さを過激なタイトルで読者にアピールするメディアの姿勢に対して政治家や経営者に保身という影響を与えているのかもしれません。これは洋の東西を問わない傾向かと思います。

ぶれない経営とか、芯のある政治家などという言葉がかつてありました。今もそのような会社や人材は多いのですが、そういう立派なところにメディアは近寄らないところにも問題があるのでしょう。我々はもっと感動するようなニュースをたくさん読むべきです。汚れた事件ものばかりの報道で溢れている社会では私ももがきたくなります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年3月8日の記事より転載させていただきました。