3.11から、8年後の今日。「忘れない」ことも、私たちができる復興支援

こんばんは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。

3月11日。14時46分には、都庁・都議会議事堂にも黙祷のアナウンスが流れ、静寂の時が訪れていました。

もう8年も経ったのかというのが率直な思いですし、自分の中であの時の衝撃や、感じた様々な感情が少しずつ薄れていってしまっていることは否定できません。


過去記事:
「何かをしなくちゃ」 「自分に何ができるだろう」 と、おそらく誰もが感じたあの気持ちを、もう一度。

「絶対に現場に行かなきゃダメだ。日本人として、見ておかなければダメだ」

そうある先輩の強い言葉に突き動かされて、初めて被災地に足を踏み入れた2011年4月7日。想像以上の光景に深く打ちのめされながら、避難所で明るく振る舞う中学生たちに強く心を動かされた。

石巻にキャンプを張って過ごしたゴールデンウィーク。夜は信じられないくらい濃い闇の中に、馬鹿みたいにきれいな星空が広がっていて、天に逝ってしまった人のことが想えて涙ぐんだ。


岩手日報の特設サイトに掲載されている「最後だとわかっていたなら」。

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

できる限り、あの震災の記憶を閉じ込めながら。この一瞬を大事に、私自身も前に進んでいきたいと思います。

今年もYahooさんが、検索で寄付がされる取り組みを継続されています。できることを、少しずつ。何かをしていれば、忘れないから。
2011年3月11日。あの日亡くなられた方々に心よりご冥福をお祈りするとともに、まだ道半ばである復興が進むことを祈念し、私も尽力して参ります。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、あたらしい党代表、東京都議会議員、音喜多駿氏(北区選出)のブログ2019年3月11日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。