記者たちは立ち上がった #質問できる国へ #0314知る権利

感動した。鳥肌モノの時間、空間だった。

何の話かというと、3月14日夜に官邸前で行われた、官邸の質問制限に対するメディア系労組の抗議行動だ。…もっと早く書けばよかった。時間が経ってすまぬ。いまさらニュースバリューないな。備忘録として。

「望月記者を孤立させるな」
「民主主義の危機だ」
など、記者たちの切実な叫びが官邸前に響く。集結した600人の市民は、満腔の怒りを叩きつけたのだ。コールの際には、地響きのような声が鳴り響いた。

私も一市民として、いてもたってもいられず、官邸前に駆けつけた。ルビコン川を渡るほどの決意を胸に、まずは職場から江戸川、荒川、隅田川を超えて駆けつけたのだ。私には1歳8ヶ月の子供がいる。もうすぐ娘は無邪気に大人に質問を始めるだろう。見えないものを見たい、知らないことを知りたい。これは人間として当然の欲求であり、権利だ。

しかし、我が国の現状はどうだろう。公文書が改竄され、統計の不正がまかり通る国だ。この猖獗した時代、ジャーナリストがするべき役割は、本当はどうなのかということを、読者のかわりに確認することである。その質問する権利を踏みにじられる状態は断じて許してはならない。

このたび、新聞労連の南同志を始めとする皆さんが勇躍決起した。記者にとって、質問する権利が奪われては、商売あがったりだ。記者たちは闘いの指針をがっちりと確認し、闘争体制をうち固めたのである。このメディアに関わる労働者の連帯、大衆的反逆に敬意を評したい。これは、労組の、労働運動の新しい姿ではないか。つながりに感動した。怒りの炎が赤々と、ホワイトデーの官邸前を燃やし尽くしたのだ。

質問する権利には、右も左も関係ない。また、左翼が騒いでいる、東京新聞や朝日新聞がゴネているなどと、望月同志がゴネているなどと、問題を矮小化させてはいけない。ナベツネも、産経の阿比留瑠比も、質問できないと困る。東スポにだって質問する権利はある。

自民一強、安倍一強と言われているが、質問から逃げる政権は、最弱だ。凶暴な牙をむきだしにしている。こうした策動の貫徹など、断固として、木っ端微塵に粉砕しなくてはならない。記者は、質問を通じて政権の欺瞞と瞞着、反市民性を暴きだすのでなければならない。記者への犠牲強要の大攻撃をはねのけなければならない。

日本を取り戻すと叫んだ自民党総裁がいた・今こそ、質問できる国にするために、その権利を断固として取り戻すために、非妥協的に闘い抜かなければならない。官邸前行動はその第一歩だった。ジャーナリズムを守るための記者たちの団結に感動し、私もその魂を戦闘的に高揚させたのだ。

…ウェブメディアも取材にくるだけでなく、行動に参加してほしかったな。このあたりの温度感、ベンチャービジネスと労組という問題とも通じるものがある。うん。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年3月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。