自分は自分である世界

2019年03月24日 14:00

20年ぐらい前までは世の動きは一部の人が牛耳ることができました。今年流行するファッションにしても車のトレンディな形にしても、住宅のデザインにしても流行する音楽や書籍もおおむね、方向感が一部の世界で作られてきたと思います。

今、音楽の世界では好みが見事にばらけてしまいました。誰でも知っているあの歌、この曲はより少なく、カラオケボックスでは「えー、こんな曲知らない!」という歌を友人が見事に歌いきるということもあるでしょう。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

会社の仲間で数人でランチに行けば「同じものを頼んだ方が早く来るぞ」と忖度し、一番初めに声をあげた人の注文に「俺もそれ」と「御意のとおり」をしていた時代は過ぎ去りました。メニューを穴が開くほど眺め、ベストチョイスを探し出す人が増えたのは「自分は自分」というアイデンティティがより明白になってきたからでしょう。

「ZOZOの前沢さん、うらやましいとは全然思わない」。こう考える人は多いはずです。1億円の限定版GTRが目の前を走り去っても目で追うこともなくなったのはそういうライフスタイルを望んでいないからでしょう。

かつて夢や人生のゴールは親や祖父母、賢人、先生あたりから聞かされていたものです。できれば一流の大学に入って一流の企業に入って、よい嫁さんをもらって子どもをもうけてマンション買って親に孫の顔を見せて、子供に塾通いさせて良い学校に行かせ、就職が決まってほっと一息、その時点で概ね50代後半となり、会社からも「あなたも人生のラストスパートをそろそろ考えた方がいい」などといわれるわけです。人の人生、夢も希望もあったものではなく、こう見れば、枠の中のわずかな選択肢しかなかったのかもしれません。日本は皆同じような行動をすることに日本的強さがある、と信じていたともいえます。

その点、バブル崩壊後から多品種少量生産の時代、ルイヴィトン卒業、シャネラーなんてダサいといった「自分は自分」のスタイルが徐々に浸透してきたと思います。あるカナダ人が「日本は観光はいいけれど住みたくないな。みな同じ格好したサラリーマンだらけの満員電車なんて考えただけでぞっとする」と言っていたのは我々が「韓国人の女性はみな同じ顔に見える」というのと同じなのでしょう。

Jポップも老若男女誰でも知っているアイドルの時代から「それ誰?」という世界になりました。メルカリ全然OKだし、シェアハウスで幸せと。先日、日本から来たばかりの方と話をしたら3000円ぐらいで買った使いかけの口紅もメルカリで1000円で売れた、と聞いて私は卒倒しそうになるほど驚いたのは価値観があまりにも違ってきているからでしょうか?

もう一つは「幕の内弁当型ライフスタイル」の人が増えた気がします。これはどれもこれもちょっとずつ楽しみたいという欲張りで、ネットなどを通じて情報を得、お試しをすることを言います。私の造語です。そういう私も案外そんな感じで公私ともに広くいろいろなところをつまみ食いしていてイチロー選手のように一点集中脇見もせずという流れとは全く違います。

自分が自分であり、認知される世界とは結局、アメリカなどで起きている民主化という「美語」に守られた単なる自己表現なのだろうと思います。それが聞き入れられる世の中になってきたのが最大の変化だろうと思います。

結婚?パートナーでいいでしょう、と思ったり、実はLGBTだとカミングアウトするようになったのはまださほど遠い昔ではありません。それは個々の人間が自己実現欲をさらに深めているともいえ、マズローの5段階要求の最高レベルになってしまいます。ですが、異論もあるでしょう。私も何か変だと思います。そこでマズローの5段階要求を人類の時代という時間軸に置き換えるとむしろすっきりしていて5段階の最高レベルを享受できる時代がやってきたのだ、とみることはできそうです。

かつては「今日は何をしようかな?」と思いました。今では「今日はどれからやるかな」になったのは大きな変化だと思いませんか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年3月24日の記事より転載させていただきました。

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