できると思うからではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい

マリナーズのイチロー選手が引退した。その記者会見で「できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい」との発言を残した。最近の若い人たちは「できそうにないので、難しそうなので、挑戦しない」という人が多いように感じている。挑戦しなければ、できるかどうかわからないはずだが、失敗を恐れて挑戦しようとしない。失敗すると再挑戦が難しい日本の文化が影を落としている。

そして、がんの分野では「患者さんが生きる権利として新しい医療を試みたいと思っていても、がんじがらめで挑戦させない」現実がある。標準療法で縛り付けつつ、標準療法が尽きれば、患者さんを見捨て、さらに、生きたいという希望さえ抑え込もうとする医師が少なくない。統計学的なエビデンスだけがエビデンスと信じ、科学的なエビデンスが評価できない人たちだ。

そんな中、ネット記事で、

「標準治療こそ、世界中の研究者の努力と多くの患者の協力によって生まれた人類の叡智の結晶である。患者の年齢や収入などの身体的・社会的な背景に留意しつつ、可能な限りこのガイドラインに沿った医療を高いレベルでがん患者に提供できる医師が名医である」

という文言を見つけた。

これではマニュアルに沿った医療を提供していれば、日本中が名医であふれかえり、すべての患者さんや家族は満足しているはずだ。治せないがんを治すための姿勢が欠落している、単なるマニュアルに操られた医師が名医とはおかしな世の中だ。それならば、抗がん剤拒否の患者さんに対してどのようなアプローチを考えているのか、明確に示して欲しいものだ。

標準療法は個々の患者さんに取って常にベストな治療法ではない。その事実を理解しない限り、現状よりもいい医療を提供できるはずがない。個々の患者さんの個性をできる限り正確に把握する技術を駆使して、臨床情報とゲノム情報などを合わせたビッグデータベースを作り上げ、個性に合わせた医療の提供にまい進すべきなのだ。

人類の叡智はまだまだ高いところを目指しているし、標準療法のあとを考えない今の医療供給体制で満足している医師が「名医」という基準はあまりにも低すぎるのではないのか。「標準療法至上主義」は20世紀の遺物のような発想だ。技術が進めば、標準はどんどん高くなってくる。「欧米の標準」を永遠に受け入れることを是とするならば別だが、日本で日本人のための標準を作り上げ、それが世界中の患者さんに取って、その時点でのベストであるような状況を生じさせることが必要だ。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2019年3月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。