なぜ、街中はクリニックと薬局とドラッグストアだらけ?

私が日本に戻ると商店が新陳代謝を起こしていることがしばしばあります。たまに行くから余計に気がつくものです。「あっ、あそこの看板が変わった」と。

写真AC:編集部

しかし、新しく生まれる店舗の多くはクリニックとドラッグストアと調剤薬局であります。私のところには有名大型ドラックストアが100メートルの間に3つあります。私にはちっとも面白くない光景なのですが、中に入ると必ずそこそこ客はいるものなのです。日本の消費者のドラッグストア好きはある意味別世界にある気がします。

ここカナダにもドラッグストアはもちろんありますが、薬の販売コーナーは割と狭く種類もさほど豊富ではありません。日本ではパッケージのデザインで「売らんかな」という商魂のたくましさが見て取れますし、「今週の店長のおすすめ」というステッカーで安売りを押し出されると薬を安売りで買うものなのか、と首をかしげてしまう時もあります。

日経に「増えすぎた薬局 6万店、始まったサバイバル」という記事があります。門前薬局がなぜ増えるのか、この長い記事を読むと「それでも儲かる」「かつての医者との結託や賄賂」といった独特の商慣習が見て取れます。確かに薬剤師は誰でもなれるわけではなく、門前薬局を開設するためのハードルはあるかと思いますが、そこを抜ければブルーオーシャンで年収〇千万円が待っているというお話と理解しました。

薬剤投与が増えれば国の社会保障費は膨張し、納税をしている勤労年層に影響が出ますが、膨大な量の薬をもらうのはすでに納税をほとんどしない層であります。そこに医者が薬漬けをして薬局が儲かるというシナリオがあるならばどうなのかなぁ、と首をかしげてしまうのです。

だいたい日本は薬が安すぎます。先日、私が当地で眼科に通って投与された薬は当地の保険を使っているのに日本円で8000円支払いました。その後、その薬がよく効いたので医者に「なくなったからもっと欲しい」と言ったらあの薬は抗生物質で今の状態ではもうダメ、と投与すらしてくれなかったのです。

日本でかつて潰れないビジネスの一つに寿司屋がありました。住宅街の中にポツンとある寿司屋、誰も客が入っているのを見たことがないあの寿司屋がなぜ潰れないのか、といえば父ちゃん母ちゃんで切り盛りし、「(この程度の店で)マジかぁ」というほどの金額をボラれます。あとは近所のおじいさん、おばあさんのところに出前があり、「税金?、うち、儲かっていないから」という事情があったからでしょう。そんな街中の寿司屋も出前が減って経営者も高齢化となり、さすがにいよいよなくなってきたな、という感じがします。

ならば門前薬局は現代の寿司屋なのでしょうか?

日本のビジネスは同じようなものが急激に増え、時代の流れを思わせておきながらある時、地球から恐竜が消えた如く、あっという間に縮小する運命があります。似たようなケースは弁当屋でしたが淘汰されました。現在ではコンビニエンスストアが明らかに氷河期を迎えようとするところで、次は門前薬局となるのでしょうか?

日経の記事には「全薬局を2025年までに『かかりつけ薬局』にする。かかりつけ薬局は患者の病歴や服薬歴を把握し、健康の相談窓口にならなければならない。当然患者からの指名が必要だ」とあり、これが門前薬局膨張を食い止める手段だというのです。これ、私の理解が足りないのかもしれませんが、おかしいですね。患者の病歴や服薬歴なんてQRコードで読み取って全国どこでも共通のデータベースを施すべきじゃないでしょうか?かかりつけ薬局は時代が2世代ほど古い発想のように感じます。個人情報云々で厚労省が立ち止まってしまっては日本に近代化はやってきません。

駅を降りると整骨院に歯科医に皮膚科、薬局とドラッグストアでは日本中が巣鴨になってしまいます。もっと日本を楽しくしたいですよね。商店も華やかになってもらいたいところです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年3月28日の記事より転載させていただきました。