日本の財政赤字を憂う

篠田 英朗

日本の平成31年度予算が成立した。一般会計総額が、初めて100兆円を超えたというニュースが躍る。3割が新規国債発行によって賄われており、財政悪化は進行し続ける。

27日の参院本会議で19年度予算が可決・成立し、会見する安倍首相(官邸サイトより:編集部)

増税の可否を含めた財政健全化の方策については、様々な議論がある。支出を減らすよりも、経済成長を図って税収増を期待するほうが望ましいということは、当然である。 ただし、財政赤字に対する危機感がマヒすることには、計り知れないリスクがあるはずだ。借金を恐れすぎてはいけない場面もあるのだろうが、借金を憂いていけないということになっていいはずがない。

安倍政権について、外交では安定感があると評価しても、内政面で低く評価する方が多いように感じているが、私も同じように思っている。私は国際政治学者なので外交問題を論じることが多いが、あえて視野を広げて言えば、安倍政権の経済政策に結果が出ているという印象は受けていない。

アメリカのトランプ大統領が貿易赤字の改善に躍起になっているニュースを多く見るが、トランプ政権下で財政収支・経常収支の改善はみられていないのではないか。この点では、1990年代のクリントン政権、2010年代のオバマ政権のほうが、圧倒的に成績が良い。1980年代のレーガン大統領以降、共和党政権は、イデオロギー色が強すぎて、結果重視の実務的な政策がとれていない印象を受ける。外交面での評価はともかくとして、財政問題のような内政面の経済政策で、結果を出せていないのではないか。

最近、読売新聞の読書委員として、デビッド・アトキンソン氏の『日本人の勝算』の書評を執筆した。徹頭徹尾、合理性のある議論で、好感を得たのだが、この種の議論が、まだ日本には不足しているように思う。特に不足しているのは、永田町だ。

全く別の文脈で、学生運動や反戦運動に奔走した青春時代を送りながら、1980年代を「ライブ・エイド」的な価値観の側で過ごし、1990年代に結果を出す指導者になったトニー・ブレアやビル・クリントンのような政治家に対する、私自身の関心についてふれたことがある(参照拙稿:映画『ボヘミアン・ラプソディ』と「夢破れた僕らの世代」)。日本には、この種の政治家が不足している。

2017年の衆議院選挙に際して立憲民主党が設立された後、「立憲民主党の未来は実は改憲にある」というブログ記事を書いたことがある。リベラル派の牙城というイメージを得た立憲民主党だからこそ、憲法問題で頭が固いところを強調して高齢者の票の維持に専心してはいけない、むしろ改憲問題で現実路線を示して早めの処理を間接的に促進してしまい、内政経済面の政策論争などで有権者にアピールしていくことのほうが、長期的な党勢の拡大に役立つはずだ、と論じた。

言うまでもなく、実際の立憲民主党は、私の期待の180度反対の方向に進み続けた。結果として、日本の有権者には、非常に狭い選択肢しか与えられていない。自民党の責任も大きいが、立憲民主党などの野党の責任も大きいと思う。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2019年3月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。