「妥協しない」社会:英EU離脱、日韓、米大統領選…

英国離脱物語は英国民残酷物語と言い換えたくなるほど政治家同士の悲惨なバトルが繰り広げられていますがなぜ、双方が歩み寄りを見せないのか、こちらの方に興味が移っています。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

私が最近とみに思うのは英国ではほかに議会で審議可決する法案はないのかな、という点でしょうか?ほぼすべてのエネルギーが離脱問題に注ぎ込まれ国政がどこに行ってしまったのかわからない状態になっています。古代ギリシャの哲学者であるプラトンやアリストテレス、ソクラテスらが主導したた弁論とディベートの考え方をそのまま現代まで引きずっているからでしょうか?

先日知り合いのカナダ人が転職すべきかどうか悩んでいるといいます。理由はクライアントの集合住宅の管理組合の役員会で週に1回、ディベートタイムがあり、暇な役員が同じ話題を延々と夜遅くまでディベートし、全く膠着状態になっているというのです。しかもディベートの終わりに「では今日の討論はこのぐらいにしてまた次回、続けよう」というらしく、決める気がない役員会で無為な時間を過ごしたくないということでした。

では日本はどうでしょうか?会議が多く、時間の無駄、非効率と叫ばれます。テレビニュースに出てくるような役人主体の〇〇審議会といった会議では巨大なテーブルにずらりと人が並び、更にその後列に控えの人や実務管理者が座り、細かい点は後ろの人が囁いたりしますがこんな会議でも日本の場合は参加することに意義があり、でディベートはあまりないかと思います。

私も時折東京で大きめの会議に出たりするのですが、正直方針はすでに決まっていてそれを説明し、質疑を受けるというスタイルが多く、がっぷり四つでディベートすることはあまりないような気がします。それは逆に決めるための会議であり、賛同を得るためのプロセスという感じすらあります。

政治の世界でも基本的に与党の方針が主体となり、野党が委員会等での協議を通じてどれだけその方針を野党寄りにできるかという点にほとんどの時間を割きます。

その点、現在、英国で起きている議会の紛糾とは国家としての方針が十分煮詰まる前に相手方であるEUと離脱案を作ってしまったことへの反発ということでしょうか?メイ首相がもっと早期に辞任するなど対策をとるべきだったのですが、今から辞任や首相選挙をして4月12日までに何かするのはまず無理でありましょう。

妥協しない社会は英国だけではないと思います。私がある意味、戦々恐々としているのはアメリカの次の大統領選挙であります。トランプ氏に対する好き嫌いは明白に分かれ、彼がどれだけ大統領としての功績を残し、スキャンダラスな問題を起こさなかったとしても「生理的拒絶反応」を示している人はいるものです。特にリベラルな女性に多く、妥協しない社会が再び生まれるのではないかという気がしています。

かつては折衷(英語でコンプロマイズといいます)が物事の決定プロセスにあったと思いますが、極端な選択に人々が賛否でバトルする社会は芯の強さか、我慢比べか、人間のエゴか悩むところです。韓国でも日本バッシングをするグループが気勢を上げていますが、戦後社会になってなぜ、今更そこまで引き戻された話で紛糾しなくてはいけないのか、実に理解に苦しむところであります。

安倍首相がかの国との交渉で「未来志向」という言葉を使っていましたが、現実に即した落としどころという発想がなくなってきたことは社会の危機感すら感じるところであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年4月3日の記事より転載させていただきました。