平成時代:日本人は軋轢よりも低成長を選択した --- 井上 孝之

2019年04月04日 06:00

私は平成4年(1992年)に大学院を卒業して社会人になって、現在50代なので、平成の大部分を社会人として過ごしたことになります。私が勤める業界は景気の波が遅れてやってくるので、入社して最初のボーナスがバブルのピークのボーナス額となり、その後、長い停滞期に入りました。従って、「ボーナス最高額は入社して最初のボーナス」という時期が長く続き、そのボーナス額を抜いたのは、40台半ばになってからでした。

平成は経済的には低成長の時代だったので、経済的な観点でものを考える人にとっては「ダメな時代」という評価になってしまうのかもしれませんが、私は「日本人は結果的に正しい選択をしたのではないか」と結構、評価しています。

写真AC:編集部

私は、平成期の日本人は「経済成長よりも軋轢のない社会」を選択し、また、「経済成長よりも安全・便利・快適・清潔な社会」を選択したというように理解しています。

例えば、農業や公共工事しか産業のない地方の市区町村、競争力のない産業では、突然死ではなく、ゆっくりとゆっくりと衰退死させることを選択しました。そのおかげで、それらの分野・地域では大きな軋轢もなく、つまり大きな苦痛のない衰退に向かっていて、それらの分野・地域にいた人はゆっくりと別の分野・地域に移っています。日本人はこの「膨大に時間のかかる改革」をやりきろうとしていると言うこともできます。

このような分野・地域ではさっさと撤退させて、成長が期待できる分野・地域に人や投資を集中させた方が経済成長には有利だったことは明らかですが、平成の日本人はそのような選択はしませんでした。そのような選択をしたときに生じる一時的な軋轢を嫌ったためだと思われます。

都市に住む日本人もこれらの分野・地域に自分たちが支払った税金が使われることも、輸入品よりも割高な商品を交わされることも許容してきました。ようやく最近になって、低成長分野・地域が抵抗の声を上げる元気もなくなってきて、都市や成長が期待できる分野に資源を振り分けることに重点が置かれるようになってきたと感じています。

その他にも、平成期の日本人が守ったものに終身雇用制度があります。城繁幸さんがいろいろ提言されましたが、結局、変わりませんでした。これも、日本人がリストラによって一時的に苦痛を感じることを避けた結果だと思っています。

また、日本人が拒絶したものに首都移転があります。堺屋太一さん、司馬遼太郎さん、八幡和郎さんのような主に関西系の文化人が提唱しましたが、結局、拒絶されました。これも首都移転とそれに伴う行政改革の軋轢を日本人が嫌ったせいだと思っています。その結果として、地震や富士山の噴火のような災害リスクの高い地域に過剰に人口が集中することになりました。

日本人が軋轢を嫌った結果として、反原発、沖縄基地問題、護憲のようなヒステリックな活動をする人たちに対しては、必要以上の譲歩を行って、その結果として譲歩を勝ち取った活動家たちは調子に乗ってさらに譲歩を要求するというような悪循環も生みました。このような人たちはもともと無理筋の要求をしているので、「折を見てガツンと一発」という対応もあり得たと思うのですが、平成の日本人にはそのような対応はできませんでした。

韓国との関係も、この延長で「過剰に譲歩して、相手をつけあがらせた結果」であると考えています。

また、経済成長よりも軋轢回避を優先したことによって、雇用の拡大が小さくなり、その結果として就職氷河期のような特定の世代に軋轢を集中させることになりました。このことは、「すでに社会のなかで発言力のある世代の軋轢を回避する」ために、「まだ発言力がない世代に軋轢を押し付ける」ことになった結果です。

ただし、就職氷河期世代も当事者の段階のうちに「多少の軋轢があっても、経済成長を優先して、雇用の拡大を図れ」という主張がいま一つだったのではないでしょうか。

日本人が経済成長に情熱を向けなくなった理由

一方で、平成の日本人の情熱は「安全・便利・快適・清潔」に向かい、その結果、世界に例を見ない「安全・便利・快適・清潔」な社会を作り出すことに成功しました。しかも、その恩恵はかなり広い階層に及んでいて、所得が比較的少ない人でも贅沢さえしなければ、「安全・便利・快適・清潔」な生活を送ることができます。

特に、「安全」を脅かす行為には、周りから徹底的に糾弾されて、過剰な安全対策を求められます。その結果、過剰スペック&高価格(あるいは、供給者側の低賃金&長時間労働)な商品を買わされることになったわけですが、平成の日本人は文句を言いませんでした。

日本人が経済成長に情熱を向けなくなった理由に、「安全・便利・快適・清潔」のコストが安いからではないかと考えています。海外では「安全・便利・快適・清潔」にコストがかかるので、それを手に入れようと思えば、相応に稼ぐ必要がありますが、日本では安いコストで実現しているので、「安全・便利・快適・清潔」は労働の情熱の源泉にはなりません。

私の想像では、日本で最も快適に生活できるのは、日本の大企業で出世コースに乗ったぐらいの給料をもらって生活することだと思います。日本の大企業で出世コースに乗った人は、リスクを取って高い収入の仕事に転職するよりも、大企業内でそこそこの仕事をして、定年までちょっと高めの給料をもらい続ける選択をした方が、転職のリスク、仕事のきつさ、収入のレベルのバランスの観点でちょうどいいのだと思います。

ちなみに、「大企業で出世コースに乗った人」というには、「社会的な発言力がある人」でもあり、その人たちが「今の生活スタイルを維持したい」と思っていることになるので、「平成期最大の改革の反対勢力」でもあったと思います。

また、大金持ちのセレブなライフスタイルがうまく形成できなかったことも経済成長に情熱を向けなくなった理由の一つだと思います(私が知らないだけかもしれませんが…)。給与水準が上がったからといって、プール付きの家に住みたいとも思わないし、別荘を持っても管理が大変そうだし、寄付文化も根付かないし、過剰に稼いだお金の使い道という観点で労働の意欲につながる使い道がありません。成金の人が派手な生活をしている姿を見ても、「大変そう」と思ってしまって、「自分もそういうライフスタイルをやってみたい」とは思いません。

そのような環境なので、一定以上の収入の道を確保した人は「さらに収入を増やそう」と考えるよりも、「今の収入のレベルを維持しよう」に発想が変わってしまって、稼ぐことへの情熱が急速に失われてしまいます。

多分、自分自身の収入を増やすよりも社会全体を「安全・便利・快適・清潔」にしてしまった方が気持ちよく生活できるということに平成の日本人は気が付いたのではないのでしょうか?この「気づき」こそが平成の日本人が経済成長を犠牲にして獲得した最大の成果だと私は思うのですが、アゴラ読者の皆様はいかがお考えでしょうか?

以上が、平成の初めに大企業に就職して、出世コースから外れてしまった人間が周囲を見渡して考察した結果です。

井上 孝之  大企業の窓際はそこそこ快適であることを発見した技術系サラリーマン

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