経済的に失敗した「平成」:政治に期待した僕らが間違った?

2019年04月08日 16:00

皇居、筆者撮影

元号が令和に決まった。

5月1日から新しい令和の時代、日本社会はこの危機を脱せるのだろうかと思う。いや、そもそも危機を感じているのだろうか。中国の発展の前にして、右肩下がりの時代を皆で下っていくのかもしれない。平成という時代を総括すると、経済でつまづき、先行きのない不安が覆い、皆が委縮し、適正な政策がとられず、痛みを伴う厳しい政策は先送りされた時代といえよう。

恐ろしい数字が示す「経済」

そもそも、経済が不調であった。ソニー、Panasonic、東芝、NEC、、、などの日本のメーカーが世界を席巻した昭和の終わりとは違い、現在の我々が使っている最終製品の中で日本企業のものは少なくなってしまった。日本の製造業は強いといっても、最終製品を支える「部品産業」として世界経済を支えているだけで、価格をコントロールできる最終製品がない以上、収益は限られるのが現実だ。

経済の衰えは、如実に数字に表れている。

第一に、GDPはアメリカと比較して、一気に離されている。

出典:IMF

中国にはとっくに抜かれてしまった。

第二に、「1人当たりGDP」でさえ、OECD諸国に抜かれている。

出典:IMF

ルクセンブルグ、カタール、ドイツ、フィンランド、そして、アメリカ。こうした諸国に離されてしまた。途中円高の影響で上下するが、世界に冠たる経済大国かもしれないが(規模で)、1人あたりではお寒い状況だ。

さらに、法人企業統計が示す法人企業売上高や従業員給与など、1990年代に入ってから、ほぼ横ばいの数値を示している。

こうした経済停滞の中で、国民の幸せはどうか。幸福度で見ると世界で58位である。

残念ながら、権威主義が組織を闊歩し、空気を読んで言いたいことを我慢し、他人は誰も助けてくれない社会では、当然のことであろう。社会心理のデータ分析が示すように日本人はかなりselfishな国民である。

そして、政治に期待しすぎた「平成」

そもそも、経済に対する政治の影響を過大に見積もりすぎなのかもしれない。国民1人1人が生産性をあげ、付加価値をあげ、相手のニーズを満たし・・・・そうしたことが積み重ならない限り経済は向上しない。経済政策となると、予算配分、金融政策、規制緩和などで市場のルール変更、補助金などで産業育成のためのサポートなど、政治が及ぼせる影響力は限定されている。そこを過大に見積もってしまったのではないか。

経済の停滞を多くの人が政治でどうにかできると思っていた。というか、期待せざるを得なかった。国民は景気回復を期待し、政府は自分たちの政権にできる限り都合の良い形で景気対策を打つ、の繰り返し。旧来型の公共事業を行い、構造改革という言葉は実質的には実行されず、産業構造を少しも変えなかった。結果、財政赤字が増えただけ。そして、日本の名だたる企業は相変わらず大企業のまま。新興産業はほんの少しという経済構造も変わらない現実。

別にそれが悪いとかいいとか言いたいわけでもなく、そこが平成の権力者や政策担当者の限界ということだ。衰退期には、長期的な視野より短期的な利害が優先されるし、政権基盤が不安定化・勢力が拮抗する中、日本社会において「異質」な政治家でなかったら筆者が望む政策を実行するのは難しいだろう。

私が専門とする行政改革での領域でも、多くの改革が行われてきた。従来の予算編成方式や事務事業の統廃合を行うような勇気ある政治家は、利害関係者の巻き返しに遭い、その次の首長選挙で敗北する事が多かった。そもそも自治体レベルだと関心も低く、改革派市長は、既得権益勢力に代わるような支持基盤を持てることがなかったのだ。情報をオープンにしても、皆が経済的に余裕がなく政治どころではない中、政治に群がる人たちの中での争いに勝てるわけがない。

一部の既得権益層の利害はがっちり残り、幅広く無関心層に負担される。そしてその構造がよく見えない。そう、これが日本の地方や中央・そしてメディアを覆った「平成」の政治社会の構造だ。

メンドクサイことをしていかなければ…まずは現状認識

平成の時代を表すなら、「改革が先送りされた時代」と言える(反論があれば是非!)。

そもそも改革をすることはメンドクサイ。
・過去の成功に捉われ、「日本は凄い」と勘違いしているおじさん・おばさんたちを説得する
・比較的恵まれた世代に我慢をお願いする
・勝ち逃げしたい人たちの本気の抵抗を排除・解除する
なんて、とてもメンドクサイ。

何かを変えるとなると、多くの壁が立ちはだかる。ルール、法律、前例、やり方を変える面倒さや不満、変化に影響を受ける人たち…。未来のない人たちにとって目先の利害は我々が考えている以上に重要なものなのだ。

「変わらないでいい」「このままで大丈夫」「このままがいいに決まっている」という現状認識を持った人々が考えを改められなかった、学ばなかったのだ。いや、そのことを無意識的にわかってはいても見なかったことにしたのだろう。前も話したが、日本国民はとても利己的なので、関係ない他人の未来のために我慢はしてくれない。少しでも日本の現状に気づいた人が「このままでは日本はやばい」と思っても、言うことを憚る。結果として、建前と本音のギャップが開いた「平成」。

我々は引退したイチロー選手が何十年前にCMで「変わらなきゃ」といった言葉をかみしめないといけない頃だろう。大阪では改革が進んだし、引き続いて改革が進んでいる。成功体験の事実もあるし、下を向くことはない。

現状を正しく認識すれば、令和の時代は生きていける。

(西村 健)

【編集部より】「さらば、平成」の原稿を募集中です

政府が新元号「令和」を発表し、カウントダウンが加速しています。残り1か月を切った「平成」の時代。アゴラでは、あなたの視点から見た平成がどのようなものだったか、後世への教訓としてあなた自身が指摘しておきたいことなど、論考を募集しています。投稿を希望される方はアゴラ編集部(agorajapan@gmail.com)編集部あてにお送りください。(そのほか詳しい投稿規定はこちら)。アゴラ執筆陣の皆さまもふるってご投稿ください。

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西村 健
日本公共利益研究所 代表・主席研究員

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