国鉄の順法闘争に学ぶ現代経営理論

2019年04月09日 11:30

かつて、日本国有鉄道、略して国鉄というものがあった。それを分割して民営化したのが現在のJR各社である。国鉄は、その名の通り国有企業だったので、公務員と同じように労働者のストライキ権が否定されていた。それにもかかわらず、国鉄の労働組合は非常に戦闘的であったのである。

国鉄時代の特急列車「有明」(Wikipediaより:編集部)

ストライキのできない国鉄の労働組合がとった戦術に、順法闘争というものがあった。国鉄は、安全運行を最優先する鉄道輸送業者として、作業手順や運行手順を定めた膨大な諸規則を制定していたのだが、順法闘争というのは、その諸規則を、徹底的に、杓子定規に、完璧な綿密さで、念には念を入れて遵守することにより、作業効率を著しく低下させ、列車の運行を妨害し、事実上のストライキと同様の効果を実現するものであった。

順法闘争は徹底した規則の遵守に基づいている。規則遵守は経営者が労働者に求めることだから、その徹底が労働組合の戦術になるなど、奇怪至極のことといわざるを得ない。そもそも、安全運転は、顧客の利益を守るためにあるのであって、規則遵守の究極の目的は、安全運転以前に安定運行でなければならない。規則遵守が規則の目的を阻害する、これは、もはや、法哲学の難問である。

順法闘争は、規則遵守自体を目的化すると、規則の背後にある目的に反した帰結を生むことを示している。規則は、規則であるが故に遵守されるべきではなく、規則の目的に従って遵守されるべきなのである。そこで次に、実質的に規則の目的に適っている限り、形式的に規則に違反しても許されるのかという法哲学的な難問が生じてしまう。

問題の根源は、目的に反した規則の存在にあると考えられてくる。規則遵守の徹底が規則の目的に矛盾しないためには、規則を常に見直し、規則の目的にさかのぼり、適宜、廃止や改正をしなければならないのである。実際、超巨大な国有企業だった国鉄には、不合理な、不要な、無用な、不適切な大量の規則が見直されることなく放置されていて、それが順法闘争に利用されたのであろう。

逆にいえば、順法闘争がなされていないときには、鉄道は正常に、しかも安全に運行していたのだから、現場の合理的な判断で、規則は、言葉のよい意味において、適当に運用されていたのであろう。これは規則遵守の不徹底というよりも、規則改廃の不徹底に対する適切な対応である。しかし、今日の視点からみると、何らかの事故があったときなどには、規則違反の事実を問題視される危険はあったといわざるを得ない。

重要なことは表層的な規則遵守ではなく、規則の根底にある主旨が守られていることである。それでも、表層的な規則違反を許容することは、社会の秩序と統制の見地から認め難い。そこで答えは一つ、規則を根底の原理原則を表現する少数に絞り込んで、細かな規則を廃止してしまうことである。

根底の原理原則は不変不易のものだから、見直す必要はなく、というよりも見直すべきではなく、末端の細則的な規則は、適宜、実践経験を通じて、実務の運行を通じて見直すべきだが、実際には改廃手続きが追い付かないのだから、廃止して、原理原則に準拠した現場判断に委ねればいいのである。

そこで、究極の問題は、原理原則の組織における浸透度になる。その浸透を図ることを組織文化の醸成というのであって、それが現代経営の課題である。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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