令和の故郷は“大”宰府か“太”宰府か:元号と市町村名

2019年04月16日 06:00

「令和」の故郷は奈良時代の太宰府での花見の宴にちなんだもので、作者は大宰帥(長官)だった大伴旅人かその下で筑前守だった山上憶良とされている。

太宰府天満宮(写真AC:編集部)

天平2年1月13日(ユリウス暦730年2月4日)に旅人の邸宅で催された宴の様子を表したもの。 旅人の邸宅の正確な場所は不明だが、最有力説は政庁の北西、現在は坂本八幡宮になっているところだ。

この元号の決定を機に“大”宰府か“太”宰府かということも話題になった。現在は、古代の役所、およびその遺跡に関しては、「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記され、「大宰府政庁跡」「太宰府市」というように使い分けされている。

古代については、現存する古代の印影が「大宰之印」であることが理由だ。しかし、奈良時代の文書にも、「太宰府」と表記されているものがあるし、中世からは「太宰府」と表記する文書が多くなり、近世以降はほとんど「太宰府」と表記するようになっている。

昭和30年代末頃、九州大学の鏡山猛教授が地名や天満宮など以外は「大宰府」と表記するように提唱したことをきっかけとして、一般には古代律令時代の役所、およびその遺跡に関するダザイフは「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記されるようになった。現状では、行政的な表記もこれにならい、「大宰府政庁跡」「太宰府市」というように明確に使い分けている。

学会のドンの主張が世の中での十分議論のないまま使われることは、帰化人を渡来人と言い換えると言った場合もそうだが結構ある。帰化人という言葉には「朝廷が帰化を認めるということで尊大だ」という屁理屈だったと思うが、現代の法律用語としてすら帰化であるのにまったく酷い話だ。

一方、元号を市町村名に使うことは、かつては多くあった。明治は過去に20もあったが、現在ではすべて消えた。とくに、大分県では4箇所もあった。

大正は高知県幡多郡に大正村があったが、平成の大合併で四万十町になった。大阪市に大正区があるが、都構想が実現するとき得ることになる。

昭和は、昭和2年(1927年)にいち早く誕生した福島県大沼郡昭和村が最初だ。昭和17年(1942年)に秋田県南秋田郡(現潟上市)と山梨県中巨摩郡に昭和町ができた。その後も多数出現したが、現存は山梨県の昭和町と、福島県と群馬県の昭和村だけだ。東京都の昭島市は、昭和町と拝島町から一字ずつ取ったものですからゆかりがあるとも言える。

いまのところ平成という市町村はない。
令和はどうなるだろうか。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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