どこに向かう、日産とルノーの戦い

岡本 裕明

ルノーが日産に対して4月に経営統合を申し入れていたことが分かったと報じられています。3月にルノーのスナール会長が経営統合についてはいったん棚上げというスタンスを受け、日本での会議は成功裏に終わったという印象が強かっただけに今回の経営統合を申し入れていたというニュースは違和感を感じます。

3月12日、3社連合を統括するアライアンスボードの新設を表明したルノーと日産。写真左からルノーのボロレCEO、スナール会長、日産・西川社長(日産サイトより:編集部)

報道では日産はこの申し入れを拒否するだろうと報じています。個人的には日産をめぐる話がなぜ二転三転するのか、ここが気になります。

4月19日に日経は「日産、世界生産15%減 19年度計画 9年ぶり低水準 」と報じました。これに対して日産側はそんな話はない、と全面否定、同社は「5月の決算説明会の際に生産計画は発表する」と反論しています。おそらく時々ある日経のチョンボだった可能性もあり、ブルームバーグなどでは誤報だったのでは、と憶測されていますが、販売が順調ではない印象は強く与えました。

仮にどんな形にしろ、4月中旬に日産に弱気の見通しがあったとすればルノーが「だからやっぱり経営効率を上げよう」と切り返してくる余地を作ったという見方はできます。そのルノーも18年12月決算は純利益が前年比36%落ち込んでおり、その主因が日産にあると分析されています。つまり、子がこければ親もこけるという体質が根本にあり、ルノーとしてはどうにかして子供をフルコントロールできる親権を確保したいという希望があるのでしょう。

そして、更にその後ろにはフランス政府という筆頭株主、そしてフロランジュ法という長期株主の議決権を2倍にするという国家主導型で面倒な支配関係が見え隠れします。

そのフロランジュ法を主導したマクロン大統領はどうなのでしょうか?不人気だった同大統領の支持率は12月頃に底打ちし、現在ではある程度盛り返してきているようです。フランスを取り巻く問題は山積していますが、現時点でマクロン大統領の政治生命が絶たれるような状況は想像しにくいかと思います。

では日産の本業はどうなのでしょうか?印象としてはヒットに恵まれない状態が続いているとみています。日本では「ノート」が18年度爆発的に売れましたがこのe-POWERのついた車は日本のみの発売ですし、海外では「ノート」は正直ちゃちなクルマという印象があり売れているとは思えません。(私はレンタカー業を通じて常に「ノート」は在庫をもっていますが、白人顧客層からは敬遠されます。)

日産がトヨタのレクサスに対抗して作っているインフィニティ ブランドも正直、「ん?どんな車があったか?」と名前を挙げることすらできないのです。個人的にはインフィニティの本社を香港に移した2012年ごろからレクサスに完全に水をあけられたとみています。販売力も製品も失速です。先端技術なりデザインなりに「へぇ」と思わせる車が一つもないことは販売不振の主因の一つでしょう。

つまり日産が失ったものは魅力あるクルマ作りそのもののように見えるのです。挙句の果てに北米ではSUVばかり新車を出し、もはや何が何だかわからないほどSUVのラインナップが増えてしまっています。マーケティングそのものも散々な状態であります。

多分、この流れはゴーン氏体制の中で起きた話であります。もともとゴーン氏は「コストカッターだが、売る方はどうか」といわれていました。が、氏の手法は合併などを通じて個別車種の販売力ではなく、会社ごと買ってきて「ほれ、クルマ、売れているだろ!」というスタイルで日本の本質的やり方とは異なるものだったと思います。その間、日産は世界最大手の一つとして舞台に上がったもののさて、売れている車は何、といえば世界を制する大ヒットにはつながるものが少ない感じがします。

確かにゴーン氏が1999年に着任した時の手腕は瀕死の日産を救ったという意味で衝撃でありましたが、日本の会社に日本らしくない経営を持ち込んだことが異彩を放つ今のゴーンの亡骸である日産となったのでしょうか?

これから先、日本的経営で車づくりに専念し、数は二の次、質で勝負するのか、ルノーの求める数の論理を足し算と効率化で乗り越えるのか、究極の選択にあるとも言えます。個人的にはもちろん、前者、日本的生産の良さを取り戻してもらいたいと思っています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年4月23日の記事より転載させていただきました。