統一地方選終了:未来を語り、行動できる政治家を --- 角田 晶生

統一地方選挙が終わり、全国各地で政治の新陳代謝が期待されていることと思う。
筆者も友人の応援で選挙戦に携わる機会を得たが、その中で様々な候補者たちと接し、その内の何人かに質問してみた。

「当選したら、どんな政策を打ち出しますか?」
「今後の4年間で、この街をどのようにしていきたいですか?」

残念ながら、この問いに対して満足な回答をする候補者はほとんどおらず、なるほど彼らは「議員になる」ことが目的なのだと嘆息した。

そんな中、現職に多かった回答が「これまでの実績」。
防災、子育て、福祉……大体そんな(有権者の人気がとれそうな)分野について自らの「活躍」を並べ立てるが、そこには具体的な内容がほとんどない。

それもそのはず、この手の議員は自治体 or 他の議員らが推進する事業について、ただ追従しただけだからである。

中には本当にそうした事業を主導した議員もいようが、そういう人物は自分が「議員として何を成し遂げたいか」が解っているから、わざわざ過去の実績を並べ立てる前に、きちんと「この街をこうしていきたい」という未来のビジョンを語るはずである。

まず街づくりのビジョンが明確にあって、その実現に向けた具体な施策を示し、その成功を裏づけるための手段として、初めて実績が活きてくる。
ここまでを有権者に対して用意するのが政治家本来の資質であり、選挙に立候補する道義的な資格であると愚考する。

そもそも、これまでの実績を並べ立てる裏には「これまでお前たちに色々してやったのだから、その見返りに投票してくれ。また4年間、税金で飯を喰わせてくれ」という卑しい本音が透けて見える。

確かに有権者としてみれば、恩恵に与っていないこともないかも知れないが、だからと言って「これから4年間、税金で喰っちゃ寝していいですよ」とは決して思うまい。

「まぁ、今まで頑張ってくれてありがとう。で、それはそれとして、今度の4年間は、どんな仕事をしてくれるんだい?」
この質問は納税者としてごく当然の権利であり、これに満足な回答を用意できないような議員は「税金泥棒」と断言して構わない。

議場に4年間ただ座っていればいくらでもでっち上げられるような「実績」にたぶらかされない、有権者の「見る目」に期待したい。

【結論】実績があるに越したことはないが、ビジョンを語れない政治家に未来はない。

角田 晶生(つのだ あきお)フリーライター
1980年、鎌倉に生まれ育つ。海上自衛官の任期満了後、2010年より現職。防衛・人材育成・歴史・地域文化などをメインに、職業やボランティア経験に基づく寄稿多数。