Change「平成」から「令和」へ

大学を卒業して、社会人となったのは昭和63年4月1日でした。翌年には「平成」となり、社会人としての成り立ちは、平成と共に駆け抜けたと言っても過言ではありません。実際は秘書見習いとして、大学時代20歳で参議院議員候補の事務所に入り、統一地方選挙では県議会議員のスタッフとして選挙に関わり、大学卒業と共に衆議院議員の秘書となっていくのです。

昭和の時代は、どうしたら政治家になれるのか、そしてどうしたら自分の理想とする社会が実現出来るのか、悩み、そして学んだ時代と言えるかもしれません。

昭和63年(1988年)、昭和末期に居住地を選挙区とする衆議院議員事務所に就職することが決まり、地域の歴史や課題を学び始めていたところ、3月31日に縁もゆかりもない衆議院議員の国会事務所に初日出向となりました。当面と言われていたので、1~2か月くらいすれば帰れると思っていましたが、1年たっても2年たっても戻れと言われず、戻れと言われたのは5年を経過した頃でした。

しかし、当時、従事していた衆議院議員が戻せないと言ったことから、初日出向の片道切符となったのです。学生時代の計画は、地元担当の秘書となり、いつか横浜市会議員に出るというものでした。「はたしてこれからどうしたらよいのか?従事している衆議院議員の地元で県議会議員になろうか」平成の序盤は、人生が思い通りにならない事を実感した時期でもありました。

平成6年(1994年)、統一地方選が来年に迫る中で、僕の住んでいる街が人口増で分区したのです。分区になると選挙区が変わり、自民党の地方議員公認候補の割り振りが変わるのです。自民党の公認候補がいなくなってしまった選挙区は新たな候補者を見つけなくてはいけません。新しく出来た隣町の選挙区で県議会議員として出馬しないかという声がかかりました。一方で、僕の住んでいる選挙区でも市会議員候補者をもう一人出すので、出馬しないかという、声もありました。

当時30歳、地域での活動を全くしていなかった状況下でしたが、「何とかなる」と思い込み、居住区での横浜市会議員に立候補することにしました。もちろん大敗し、4年間の浪人生活を過ごす事になるのです。正直、地元担当の秘書をやっていたらな…、と思ったこともあります。

平成11年(1999年)の選挙で初当選。平成15年(2003年)には2期目の当選。今、思えば平成の真ん中で、選挙地盤は安定し、政策実現力も高まり、自分が学生時代に描いていた姿にたどりついたのです。政治家として安定を得て、ワイフとも出会い、結婚したのも平成16年(2004年)、正にこの時期だったのです。平成のスタートは、思い通りにならなかった人生も、平成中盤になると想定していた姿に戻っていたという事です。

そんな安定した議員生活も平成17年(2005年)に大きく変化することになるのです。衆議院議員選挙に出馬することになったからです。安定は全て吹っ飛び、常に当落の瀬戸際に身がおかれる生活になったのです。4回戦った衆議院議員選挙では、1度も小選挙区では勝つことが出来ず、比例で3回復活当選。平成29年(2017年)の5回目の選挙は、自民党のルールに基づき、重複立候補は認められない小選挙区だけの候補者になりました。

小選挙区制度が始まって以来、1度も小選挙区で自民党候補が勝てていない、言わばアンチ自民の選挙区では、当選の見込みは全くありません。それでも自民党で最後まで戦い、散ることを選択すべきだったのか、平成の後半は人生最大の決断を求められたのです。

平成は正に、自民党議員として駆け上る事だけを考え、行動した時代だったのです。平成の後半は、その道が閉ざされ、また新たな挑戦を求めて新党を立ち上げる決断をしました。昭和の最後から、政治の世界に入り、平成の終わりに至る約30年間は、「地盤・看板・鞄」何もない学生が夢を抱き、努力によって何でも出来ると信じ、突き進んだ時代でした。

努力ではどうにもならないこともあることを理解し、決断が人生を大きく変えてしまうことも理解し、それでもチャレンジすることが大切だと思えた時代だったのです。

「令和」という時代がスタートする本日、それでも僕はチャレンジし続けたいと思っています。そして、もう一度、自分が社会に果たすべき役割を見つめなおす時間と思っています。認証官として内閣府副大臣を拝命し、書状を平成天皇から賜ったことは一生の思い出であると同時に、だからこそ、社会に貢献する人生を全うしたいと思っています。

政治は太陽のようでなくてはいけない。誰しもに公平に陽が降り注ぐように


編集部より:この記事は多摩大学ルール形成戦略研究所客員教授、福田峰之氏(元内閣府副大臣、前衆議院議員)のブログ 2019年5月1日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。