経営論:退路を断つと成功するのか?

「退路を断つ」とは「退却する手段や道筋をなくすこと、どうやっても後に退けない状況にすることなどを意味する表現」(Weblio)とあります。ビジネス関連の書籍には退路を断つべき論と絶たなくてもよいという両方の指摘があります。

どちらが正しいのでしょうか?

きなこもち/写真AC(編集部)

日経ビジネスの編集長インタビューにキリンの磯崎功典氏が登場、サブタイトルに「退路を断つから変われる」とあります。積み上がった過去のしがらみを切り取ることにまい進し、その結果、自分が将来OB会にもゴルフや飲み会に誘われなくても構わないという趣旨のことを述べられています。

退路を断つという本来の意味からすると自分の社内交友関係の退路を断ってでも事業の改革にまい進するという解釈になるのでしょうか?

個人的には人間関係ぐらいは切っても構わない、いや、切れてしまうことは往々にしてあると思っています。切れたらまた作ればいいのです。これは再生可能です。

私がサラリーマン社長から起業した時、それまでの社内の人間関係は一瞬にして失いました。ゼネコンですから「同じ釜の飯」が大好きな業界です。そこから飛び出して起業したので私の周りの社員たちは決して良い思いをしませんでした。ただ、起業して5年ぐらいしてから少しずつ人間関係が戻り始め、今では1年に一度のOB会にはお誘いを頂いており、時折参加すれば当時の幹部職の方とそれこそ同じ釜の飯の話に花が咲きます。

人間関係はそれまでの人たちと切れても不思議と新たな別の世界の付き合いが急速に広がるものです。その時に「あぁ、自分は違う土俵に立っているのだ」というのを実感するわけです。こうなると過去を断ち切り、事業にまい進するしかないのです。企業内のしがらみ人事や派閥、友好関係から解き放たれるとかなり大胆な経営ができるでしょう。

社長にはいろいろなタイプがいます。猪突猛進型、独善型から調整型と称する若手社員とのランチや終業後幹部社員と社内で一杯酌み交わし「食べニケーション」や「飲みニケーション」をする社長さんなど様々です。

個人的には調整型社長になると英断がしにくくなるとみています。英断をしなくて済むような成熟業種で安定経営ができる会社ならよいですが、私のような野武士のような性格には合わないかもしれません。

さて、退路の話ですが、経営において本当の意味での退路は持つべきでしょう。上記のキリンの社長の退路を断つ担保は人的関係であり、会社を潰すかもしれないほどの勝負をするとは言っていません。退路を持たないのは特攻隊と同じようなもので、会社の代表者が突撃隊で戻る燃料もなく飛び出す経営が正しいわけがありません。

経営者は一定の事業プランを実現させるドライバーであります。そこに至る選択肢は多数ありますが、どれを選ぶか、そしてそのゴールに到達できるかが経営者の腕の見せ所となります。

が、負け戦もあります。戦国時代や戦争時代の小説を読むと「引けー!」というシーンが出てきます。これは退路なのです。これ以上進めば兵力の消耗で何も残らない場合は引くしかありません。もちろん、ここでいくら損をしてでも新しい資金を投入できるという期待があるなら別です。しかし、無謀な勝負はすべきではないというのが私の経営スタイルです。

一つ言えるのは起業したら3年間は赤字でも耐えられるプランだけは持つことでしょうか。これは水攻めで籠城してもそれぐらいは持つだけの兵糧を持つということです。一部の起業家たちは起業したその月から儲かるぐらいの気持ちを持っていることもあります。そんなことはまぐれか、よほどのビジネスでそうそうあるわけではありません。

退路もどの退路を断つのかによって意味合いが違ってくると思います。仲間なのか、事業なのか、自分のポジションなのかによっても違います。ただ、退路を断つぐらいの気持ちでぶつからないと成功するビジネスがないことも確かでしょう。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年5月12日の記事より転載させていただきました。