盛る話

2019年06月02日 14:00

「話を盛る」という言葉を聞いたことがあると思います。平たく言えば誇張表現であります。

盛った話は飲み会の席では面白おかしく聞けるものでどちらかといえば話し上手的な評価を受けることもあるでしょう。飲み会の席で聞き流して笑い飛ばせる話だけならどれだけ盛られようが大した影響があるわけではないのでそれは構いません。一種の話術ぐらいに思っていればよいわけです。

FineGraphics/写真AC(編集部)

ところがビジネスの話になると全く違います。仕事の打ち合わせなどをしている際に相手が話を盛っていたとしてもそれを真に受けてしまうケースが往々にしてあり、のちのち「話が違う!」ということになりかねないのです。

ところが盛っている本人は盛っている感覚がないため、全然気が付いていないこともあり、ある意味恐ろしいことであります。

「このビジネスはとっても難しく、誰にもできないのをどうにか目途をつけて…」「ここだけの話ですが…」「おかげさまで大変売れておりまして生産が間に合わず…」というのは話半分しか聞かないことにしています。誰にもできないビジネスは世の中に存在しないし、ここだけの話というのは詐欺師の典型的な切り口だし、生産が間に合わないのは生産計画が悪かっただけの話だろう、と切り返せなくないでしょう。もちろん、そうは言いませんが、話している方に「では数字で教えてください!」と伺ったりするとあぁ、その程度か、と本当のことが分かってしまったりします。

私、日本の早朝ニュース番組をカナダでほぼ毎日、生放送で見るのですが、ある放送局で経済情報の時、「NYダウは〇〇ドル安(高)と大きく下げています(上げています)」とよく言うのです。この「大きく」というのは盛っている一つの例です。何を基準に「大きく」という表現を使うのかほぼ連日見続けているのですが、雰囲気的には3桁動いた時は「大きく」という表現を使うようなのです。しかし、100ドルの振幅幅は0.4%にも満たない変動率でこれを大きくというかどうかはどこにも定義はないはずです。これはビジネス情報としては不必要な表現の一つと言えます。

同様にテレビの天気予報も最近は盛りすぎな気がします。気温に対してとても寒い、かなり暑い、羽織るものを持った方がいい…といったことをお天気お姉さんがよくアナウンスしていると思います。しかし、寒いか暑いかは個人差による感覚が強く、男性と女性でも違うでしょう。カナダの街中では季節の変わり目には厚手のコートを着ている人とTシャツ姿の人が混在して歩いていることはよくあり、何を着るか、その対策まで言われるのは余計なおせっかいにも感じてしまうのです。

私どものビジネスのうち、駐車場やレンタカービジネスではどうしてもトラブルが多く、地元警察と否が応でもやり取りをせざるを得ないことがあります。たまたま、知り合いで近所に住むFBIをセミリタイアした元情報官がいます。彼はオバマ元大統領のブレーンに近く、ある特殊任務をしていました。その彼から「警察の事情徴収の際には話を絶対に盛るな。事実だけ答えよ」と口を酸っぱくして言われたことがあります。プロがそういうのですから間違いありません。そのおかげか、最近は警察とのやり取りは実にスムーズなものです。(あまりあって欲しくはないのですが。)

延々とおしゃべりし続ける人は誰の周りにもいるかと思います。数人で集まって話をするとある人が全体の主導権を握り、しゃべらない人はほとんど声を発しないということもあるでしょう。私も時折、誰がどれぐらい喋るかを何気なく俯瞰していることがあります。これが飲み会の席になると特にひどく、私の知る何人かも基本的に話の主導権を放しません。そこまでくると皆、聞き流していて言葉の価値が薄れているのですが、本人はお構いなし。

ではなぜ、そんな一人演説ができるのかといえば盛っているからなのでしょう。盛る話とはきれいに盛らないと崩れるので盛るのに時間がかかる、ともいえるのかもしれません。話が長い人に「で、要点は?」と聞けば「いや、それだけの話なんだけどね」の一瞬で終わることもよくあるでしょう。

盛り話をする人を心理学的に研究したものもあるようですが、私の感覚からは自己防御や注目欲なのかな、と思います。盛られ過ぎると話の要点が見えなくなることも事実。私も含め、気を付けなくてはいけないですね。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年6月2日の記事より転載させていただきました。

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