加害機会の軽減を ~ 川崎殺傷事件で求められる視点 ~

2019年06月04日 06:00

白熱する割には

川崎の児童殺傷事件の衝撃はまだ続いている。報道を読み返しても事件内容は凄惨であり胸が張り裂けそうな思いになる。事件を起こした加害者は自死したため社会全体が「やり場のない怒り」を抱えている状態だろう。

titidsn/写真AC(編集部)

あまりにも凄惨な事件だったために議論は白熱している。議論の内容も大体において加害者当人とその生活環境に関する話題である。

重大事件が起きるとその原因を追求する声があがり加害者とその周辺が注目を浴びて加害者の性格・職歴・学歴・病歴・家族・交友関係、場合によっては幼少期まで遡って原因が追求される。

一方でこうした「原因」を追求する議論は白熱する割には具体的な対策に結びつかないというのが実情ではないか。
加害者の性格に難があったとしても人間の性格を変える技術はあるのだろうか。生活環境に問題があったとしても外部の人間はどこまで踏み込めるのか。

今回の事件では加害者は「引きこもり」だったが、この部分を強調することはともすればとんでもない差別と偏見を生むことになる。何よりも「原因」の名の下、加害者とその周辺に焦点を当てたとしても外部がその変革に踏みこむことは個人の内心の自由とプライバシーを侵害する恐れがある。

政府が犯罪対策の名の下、個人の内心の自由とプライバシーに干渉することが不適切であることは言うまでもないだろう。

そもそも内心の自由は外部からの客観的評価は不可能であるしプライバシーもまた客観的評価は困難である。
客観的評価が不可能・困難なものを変革しようとすることは現実的ではない。

このように原因を追求する議論は白熱する割には具体的な対策に結びつかない。
誤解がないよう強調しておきたいが原因を追求する議論を否定しているわけではない、それに偏っては駄目ということである。

少年Aの「心の闇」は解明されたか?

筆者が重大犯罪の原因を追求する議論にやや距離を置いているのは筆者自身の経験に因る。

筆者の世代(1983年生まれ)なら神戸児童連続殺傷事件の犯人である「少年A」を知らない者はいないだろう。
少年Aは1982年生まれだから同学年ではないが同世代である。少年Aが世間を騒がしたとき社会は少年Aの「心の闇」を追求しようとした。

筆者が在学していた中学校でもそうした動きがあった。

今でも覚えているが「うるさ型」の教師が授業冒頭にしおらしい態度で「命の大切さ」を訴えて筆者はかなり当惑した。しかし授業の終わり頃にはいつも通りの「うるさ型」に戻り筆者は説教されているにも関わらず逆に安心してしまったという奇妙な経験をしたのである。

あの事件から20年以上経つが少年Aの「心の闇」を解明した者はどれだけいるだろうか。

ネット上を検索すると少年Aは何か医学的治療が必要な障害を抱えていたような情報もあるが(参照:女子SPA!)、ではそれをいつの段階で発見出来たのか、発見したところでどうすれば良いのか。

精神保健福祉法では「精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがある」場合は措置(強制)入院させることが出来る。

しかし管見の限り「少年Aは措置入院させるべきだった」という意見はないし、なによりも加害行動に出ていない人間の身体の自由を奪うことは極めて重大な人権上の問題を孕み相手が未成年ならば尚更である。

「心の闇」の議論自体を否定するつもりはないが、これも究極的には「内心の自由」の問題であり、その客観的評価は不可能であり実効性のある対策に結びつく可能性も低いと言わざるを得ない。

加害機会の軽減を 

原因を追求する議論は無意味ではないにしろ、ともすれば徒労で終わってしまう恐れがある。では対策として何が求められるか。それは「機会」の軽減、要するに加害機会の軽減である。

加害者に注目する箇所は性格や生活環境だけではなく「視点」も必要である。

加害者の「心の闇」がどんなに深刻であっても加害機会がなければ重大犯罪は実行出来ない。

加害機会の軽減は確かに「対処療法」に過ぎないが対処療法も立派な治療である。例えばがんの治療においてがん細胞自体を死滅させる薬はないが「切除」という対処療法を通じて我々はがんに対処し健康でいられる。

より身近な病気で例えれば風邪が挙げられ風邪自体を治す薬はないが、我々は風邪の症状を抑える薬を飲み休息をとることで健康でいられる。我々の生活には対処療法は自然に存在している。

もちろん今回の事件はあまりにも突発的な事件であるから「加害機会」という観点からもその対策は容易ではないが「原因」を延々と議論するよりは実効性のある対策が出て来る。スクールバスに警備員を常駐させるのはやや現実離れしているが不可能ではないし登校に同伴する男性保護者を増やすだけでも加害機会は減るはずである。

「加害機会」の議論は地味かもしれないが、原因の議論より合意形成は容易である。

議論とは合意形成が出来てこそ意味がある。だから原因だけではなく機会にも着目して再発防止の議論をすべきである。

重大事件で原因を追求する議論に偏りがちな理由としてはマスコミのセンセーショナルな報道も挙げられよう。加害者の性格や生活環境は視聴率が取れる情報なのかもしれないが本当に必要なのか甚だ疑問である。

再発防止が強く求められる事件だからこそ我々はバランスある議論を行い実効性のある対策をあらゆる角度から検証すべきではないか。

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員

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