“街宣右翼”化する左派

2019年06月08日 06:00

過大評価・過剰反応は禁物だが

トランプ大統領の訪日が終わった。日米首脳会談も良好に終わり日米同盟の結束の強さが存分にアピール出来た訪日だったと言えよう。

官邸サイトより:編集部

もっとも批判もある。ネット上で目立つのが反安倍からの批判でありその内容は大体において「対米従属」批判である。戦後日本で対米従属批判は常にあったが近年の左派(左翼・リベラル)による対米従属批判の強さには驚かされる。

左派の対米従属批判で最も注目されているのが京都精華大学専任講師の白井聡氏によるものであり、白井氏は昨年著した『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)の中で日米同盟はもはや「国体」の域に達しているとし、それを意識しない我々日本人は「奴隷」だと言う。

こうした激烈な対米従属批判はやはり印象に残る。もちろん過大評価・過剰反応は禁物である。

現在の深刻な出版不況・読書離れを考えれば対米従属批判が世論の主流になるとは考えにくい。戦後日本で対米従属批判が世論の主流になったことは一度もなく、実際、野党も少数勢力に過ぎない。

しかし一方で沖縄県に玉城デニー知事が誕生し反基地活動に熱心なことを考えれば無視して良いものとも思えない。

何よりも日本は全会一致を尊ぶ社会で少数派が過大な力を持ちがちだし少数派は多数派の中枢を攻撃して多数派を掣肘、動揺させる。更に外国勢力を巻き込んで多数派を攻撃する可能性も否定できない。

現在の国際情勢を考えれば左派が巻き込みそうな外国とは中国や北朝鮮の可能性もあるわけだから独裁国家が日本の左派を介して内政干渉してくる可能性も否定できない。

少数派の反撃が多数派形成とは限らない。少数派には少数派の戦術がある。このことを踏まえて左派の対米従属批判を無視ないし軽視するのではなく真摯に注視していく必要がある。

何故、対米自立しないのか 

1960年安保闘争の国会前デモ(Wikipedia:編集部)

何故、戦後日本では対米自立の議論が盛り上がらないのだろうか。理由の一つとして大日本帝国が「自存自衛」を掲げて対米開戦を行い敗北したことが挙げられる。

対米開戦が勃発した要因は様々だが公的イデオロギーとして「自存自衛」を掲げてアメリカと戦争した事実は極めて重い。要するに大日本帝国は対米自立を掲げてアメリカに敗北したのである。大日本帝国瓦解の歴史を知れば「対米自立」とか「対米従属」など簡単に口に出せるものではない。

もう一つの理由としては対米自立の方法が難しくないからである。

対米従属とは具体的に言えは軍事的従属である。だから対米自立とは日本の軍事的自立に他ならない。

対米自立に必要なのは何よりも防衛費の大幅な増額であるし核武装や徴兵制も視野に入るだろう。

防衛費が大幅に増額されれば当然、社会保障・教育・公共事業予算などの民生費は抑制ないし削除され国民生活は圧迫される。外部からの脅威に対処するための体制が内部からの脅威(貧困・失業等)を招いてしまっては元も子もない。

「対米自立予算」が増額すれば世論の税金の使途への視線も今以上に厳しくなるだろう。

他人を「奴隷」と罵る人文系研究者が在籍する大学に対する公的助成金への視線も今以上に厳しくなるに違いない。

白井氏の「奴隷」批判に象徴されるように対米従属批判者はまるで日本人が何も考えていないような言い方をするが、人間が主張しない理由は知識不足に限らない。知識が十分な場合も主張しないことはある。

主張とはただ意見を述べるだけでは無意味である。会議や集会で大声で主張するだけではその主張は実現しない。自らの主張を実現するためには他人への働きかけが必要である。

対米自立は国民生活を圧迫するわけだからその実現のための他人への働きかけは多大な労力であることは容易に想像できる。困難が容易に想像できるからあえて対米自立を主張しない者もいるはずである。

何よりも対米従属は心理的屈折を伴うが、戦後日本に平和を提供してきたのは間違いない。

戦後日本が最も大切にしているものは平和でなかったか。対米自立を追求して平和が損なわれるなどありえない話である。左派は誰よりも平和を追求しているのではなかったか。

左派は「対米従属など些細な話である。それで平和ならば構わない」と何故、言えないのか。「平和のための対米従属」が主張できないのが日本の左派の限界である。

“街宣右翼”化する左派

対米従属批判を繰り返し、当人達の主観はともかく平和より対米自立を優先している左派の姿勢はまるで極右である。もっと言えば街宣右翼のようである。

実際、現在の左派、特に「反安倍」の思考は街宣右翼と同じと見た方がわかりやすい。街宣右翼と反安倍は思想は異なるが思考は同じである。

両者の特徴は誇張表現を好み壮大な途方もない話を大真面目にし、一方でそれを実現する能力を持ち合わせていないことである。要するに物事を具体化する能力が欠けている。

両者とも誇張表現の世界の住人であり、そこから一歩も出て来ないし出ようともしない。

例えば街宣右翼は他人の迷惑を顧みず拡声器を用いて大真面目に「日教組粉砕」を主張するが、具体的な策を持っているわけではない。反安倍も「立憲主義を取り戻す」とか「民主主義を守れ」と叫ぶがやることと言えば世代に偏りがあるデモを官邸・国会前で行うくらいである。

本人達は「高尚な理念」に基づいて活動しているつもりかもしれないが単に実社会から遊離しているだけである。反安倍はよく「市民」という言葉を強調、連呼するが彼(女)らほど「市民」の言葉が似合わない者もいない。

街宣右翼と同程度の思考にまで劣化した左派を「燃え尽きる前のろうそく」と評価する者もいるだろう。しかし周知のとおり「燃え尽きる前のろうそく」は火が大きくなる。火が大きくなれば火災リスクも高まる。

劣化した左派が思わぬ行動に出ないよう、特に外国の脅威を呼び込まないか我々は注視していく必要がある。

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員

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