日本大学ラグビー部2019春シーズン振り返って

東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・都議会自民党最年少)です。

大学ラグビー春シーズン終了

さて、本日はラグビーワールドカップ開催まで3か月を切りましたが、久々に日本大学ラグビー部GMとして春シーズンの総括とこちらは約2か月後の9月1日に開幕が控える関東大学リーグ戦の展望を記していきます。

関東の大学では2012年より春季大会として、対抗戦・リーグ戦の前年度順位それぞれ1、2、3位の6チーム、4位、5位、6位の6チーム、7位、8位、下部リーグ1位の6チームでのグループ構成で5試合が開かれています。大学選手権に直結するものではありませんが、公式戦であり上位チームのゲームはJsportsテレビ中継もあるなど白熱した試合が展開されています。この日程も全て終了し、昨日はこの春の活躍ぶりから集う関東大学オールスター戦が開かれました。

日本大学、復活への道

私達、日本大学の今春はBグループに所属し、3勝2敗で2位となり春季大会創設以来の最高順位となりました。(12年交流戦のみ、13年B5位、14年B5位、15年C2位、16年C1位、17年C3位、18年B4位)単純に、春は関東で上位8校にランクインされたという事になります。これは偏に選手達の努力の賜物です。

現在の4年生が高校3年生の時、日本大学は2部でした。大学進学を考え始める高校2年の花園開催直前で2部に陥落。それでも日大を復活させようと集まてくれたメンバーが切磋琢磨する事で昨シーズンの途中からチーム力が増してきている印象があります。

春季大会では目標の筑波戦

このBグループでは前年度学生王者の明治大学、タレント集団の筑波大学との対戦があり、私達はこの2試合でどんな戦いが出来るのかと模索して2月中旬から新チームの校内合宿をスタートさせてきました。筑波戦は、肩書き組が多数在籍する相手に真っ向勝負。愚直に練習に取り組んできた練習の成果が発揮され、苦しい時間帯で崩れる事無く、後半の後半でゲームを決めました。

筑波と言えば、私は山沢選手や内田啓介選手・山沢拓也選手のHB団、WTBに福岡堅樹選手がいる世代との13年大学選手権で0-66という苦い記憶があります。あれから2部に落ちて1から出直している過程で、筑波大の古川監督(当時)の粋な計らいで2017年春に胸を貸して頂き練習試合をさせて頂いたところから日大も流れが変わってきました。その筑波に勝利出来たことは素直に嬉しいですし、また更なる成長へ身を引き締めているところです。

Jに注目

この筑波戦、一進一退の攻防が続くゲームの途中、一番過酷な時間帯にハラシリ・シオネ君(2年)が一言放ちました。「朝5時30分からスクラム組んでるよ。負けないよ。」と周りのFWメンバーを鼓舞して気を引き締めて、そこで盛り上がり勝利へと繋がりました。

このシオネは愛くるしいキャラの持ち主です。目黒学院高校出身で日本語はペラペラ。目黒学院の花園躍進の原動力となり高校代表候補にも選ばれていました。日大入学初年度の昨シーズンは調整不足で期待はされましたが大暴れ出来ないもどかしさが続いていました。

今年は春の7人制で太腿を負傷し、最初の2試合は出ませんでしたがわずか3試合で12トライをマークするという活躍。これが評価され、オールスターではリーグ戦先発のスタメンに選ばれます。ただ、背番号は11とまさかのBKでスタメンとなりました。ゲームでは後半からは本来のNo8に戻りましたが、観客を湧かせるプレーは度々披露していました。

付け加えると、明治大学戦後半には右プロップとなりスクラムの最前列で明治とスクラムを組んでも違和感がありませんでした。プロップ、No8、WTBをやれる選手は中々いません。ちなみにシオネは「J」と呼ばれています。今年の日大はJがボールを持つとワクワクドキドキ。果たして9月1日、Jの背番号はどうなっているのだろうか?

川松 真一朗  東京都議会議員(墨田区選出、自由民主党)
1980年生まれ。墨田区立両国小中、都立両国高、日本大学を経てテレビ朝日にアナウンサーとして入社。スポーツ番組等を担当。2011年、テレビ朝日を退社し、2013年都議選で初当選(現在2期目)。オフィシャルサイトTwitter「@kawamatsushin16」