国連シンポで主張された「朝鮮半島出身労働者」研究の中身

高橋 克己

1日の産経は「韓国研究者「徴用工差別は嘘」2日の国連シンポで主張へ」と題して、2日に国連欧州本部で開かれるシンポジウムで韓国の落星台経済研究所の李宇衍氏が発言することを報じた。同所は日本統治期の韓国の経済状況を克明に研究した「大韓民国の物語」の著者李栄薫ソウル大名誉教授が理事長だ。

時あたかも、昨年秋からの文政権による、日本が韓国に対して不信感を懐くよう仕向けるような一連の行為、…慰安婦合意破棄、徴用工判決、レーダー照射などきりがない…、に日本政府がついに重い腰を上げ、半導体重要素材3品の輸出厳格化とホワイト国からの韓国除外を公表した。

レーダー照射は言うに及ばず、竹島占拠と文在寅らの要人上陸なども、ある種の戦闘行為だ。日本政府が今回の措置を「安全保障を目的とした輸出管理制度の適切な運営に必要な見直しだ」とし、「韓国との信頼関係の下で輸出管理に取り組むことが困難」としたのは当然だ。

管見の限りだが、譲りに譲りっ放しだった戦後の日本が、韓国にこれほど強く自己主張したのはおそらく初めてではあるまいか。今回の挙に出た日本を、韓国政府とその国民がどうとらえるかは徐々に知れよう。が、それとは別に、世界に対して日本の立場を地道に発信することも欠かせない。

その意味で今回の李氏の主張が、とかく日本の左派の駆け込み寺の様相を呈している国連という場で、しかも韓国人の研究者によってなされることの意義は極めて大きい。そこで本稿では氏の公開されている論文を基に、氏が国連で主張したであろう研究成果を探ってみる。

1940年代、北海道尺別炭鉱の朝鮮人労働者(在日韓人歴史資料館HPより:編集部)

李宇衍氏の研究「戦時期日本へ労務動員された朝鮮人鉱夫(石炭、金属)の賃金と民族間の格差」は九州大学学術情報リポジトリに収められていてネットで読むことができる。

その研究の顕著な特徴は、自身が「本稿で利用している資料はほとんど『強制連行・強制労働』という立場の研究者が編纂したものである」としている通り、氏とは立場を異にする先行研究者の資料を読み直しているところにある。

名が挙がっている先行研究者には、「朝鮮人強制連行の記録」がその方面のバイブルになっている朴慶植(1922年-1998年)、「中国人強制連行」を書いた西成田豊(一橋大教授)とその弟子と思しき市原博独協大教授、「強制動員真相究明ネット」で講演した守屋敬彦、そして長澤秀ら。

一次資料は限られるので、それをいかに「公平に読むか」が過去の事実を理解する鍵だ。李氏は、これまでの先行研究が「強制連行・強制労働」という矮小化された視点から行われたために、問題を「単純に奴隷的労働と奴隷的生活とすることで済ませてきた」と批判する。

氏は、1. 朝鮮人炭鉱労働者と金属鉱山の労働者の賃金の程度 2. 賃金の決定方法 3. 日本人の労務者との賃金の格差 4. その推移の変化…などを明らかにしている。なお、氏によれば1939年~45年に144千人の朝鮮人が鉱山に動員され、8割余りの122千人が炭鉱の坑内採炭夫として動員された。

具体的な事例をいくつか見てみよう。(趣旨に影響しない範囲で捨象し、数字もアラビヤ数字にした)

氏は、1939年9月からの「募集」と44年10月からの「徴用」を、多くの人々は「戦時動員」であるため賃金が支払われなかったと考えるが、事実はこれと異なり、労務動員の当初から賃金は支払われていたとし、先ず鉱夫による送金の事例を挙げる。

賃金水準と朝鮮への送金

三井砂川炭鉱の調査によると1940年7月末の在籍は622名、3~6月の平均送金者は279名で在籍者の44.8%が平均して32.34円を送金した。明延鉱山の同年1~6月の在籍者のうち送金者は71.8%、生野鉱山も送金者は72,8%だ。仙臺高屋鉱山では3~7月の稼働人員の70.1%が送金していた。(資料は朴慶植編。金額は送金を実際に行った鉱夫の平均額)

他方、朴慶植編の「半島労務者勤労状況に関する調査報告」は、1941年の北海道某炭鉱の送金人員は在籍人員の34.0%に過ぎず、1943年初め頃の北海道住友㈱鴻之舞鉱山で送金をしている鉱夫も全体の20%~30%であったする。が、その理由を李氏はこう解説する

先行研究では、強制貯蓄、各種積立金、食費、その他の雑費等を差し引くと、残るものがなく、ごく僅かな額の「小遣い」に過ぎず、従って送金する余裕はなかったとしている。…賃金は強制貯蓄、食費、その他の雑費を引いても少なくとも4割程度の金額が手取り分として残る金額であった。会社側は送金を強く勧めたが、従わない朝鮮人も多かった。…送金した者は残りの9.3%を小遣いとして使用し、送金しない者は賃金の43.5%を全て自由に消費したものと計算される。

賃金計算法と格差

氏によれば、炭砿によって違いがあり、また複雑な方式で計算されていたものの、炭・鉱員の朝鮮人と日本人には同一の賃金体系が適用された。が、計算が複雑であったために誤解を生む可能性があっただけでなく、歩率の鑑定(計算)をはじめ民族差別的な要素が介入する余地があったようだ。

体系が同一でも賃金額が同じでないのは当然だ。氏は1940年の住友鉱業歌志内の「就業案内」が「賃金は稼高払とする」となっている点や、磐城炭鉱の「就業規則」に「単価を決め作業の産出高により計算…共同社業の場…按分し賃金を計算する」となっている事例を挙げこう結論している。

この「就業案内」と「就業規則」の共通点は朝鮮人と日本人の区別がないという点であり、両者を区別し別個として取り扱うという文書は存在しないという事実である。

氏は、朝鮮人であることを理由に同じ作業をしている日本人より低い賃金だったのではないかとの「疑問を最初に呈したのは朴慶植であり、今日に至るまで学界の主流、通説となっている」とする。その根拠は北海道某炭鉱の民族ごとの賃金分布だという。

氏は、朴慶植が同じ資料にある勤続年数と賃金の分布を無視していると指摘する。即ち、朝鮮人の勤続年数は2年未満が89.3%である一方、日本人の57,2%が2年以上だ。朝鮮人が50円未満に密集し、日本人が50円以上に集中しているのは「勤続期間」に基づく作業能率の差異を反映しているに過ぎない。

氏は長澤秀による「作業班構成により発生する作業能率上の差異に関する調査」も紹介している。それによれば、日本人4名と朝鮮人3名の7名構成の場合、1名当たりの炭掘進尺数が0.8尺なのに対し、2年勤続の朝鮮人8名構成では0.51尺、3カ月の訓練後の朝鮮人8名では0.25尺に過ぎなかった。

つまり経験の蓄積が作業能率を決定し、それを考慮するがゆえに賃金計算も複雑化するのだ。氏は、朝鮮人は2年の契約期間満了後も延長する者は少なく、満了以前に逃走する者が多かったとし、作業経験により技量を身につけた炭鉱夫が日本人に比べはるかに少なかったことが、賃金格差に反映されたと解釈しなければならないと、実に明解に結論する。

以上、とても全部は紹介し切れないが、氏の研究の概略は理解できよう。最後に李宇衍氏の朴慶植批判を引きつつ、国連シンポの成果を期待して稿を結ぶ。

朴慶植は自身が収集・整理し、以後編纂した資料集に採録した重要な資料を、その全体を概観せずに、一部分のみを抜き出し、予断を入れ込み、早まった結論を出したのである。…朴慶植の間違いはこの50余年間にわたって一度も批判的に検討されずに、朴慶植の見解は今日まで生き延び繰り返されてきた。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。