人はなぜ「友」を探し求めるのか:世界の指導者の「友達」

2019年07月07日 11:30

フェイスブックが登場して以来、友人の数が急増した若者たちが多いという。ある若者は数千人の友人がいると自慢するが、その数千人の友のうち、どれだけの友が互いに理解しあっているだろうか。

韓国ではフェイスブック上の多くの友を「仮想友人」と呼んでいる。従来の伝統的な“人生の友”といった意味合いは薄れ、もっぱらフェイスブックの“デジタル”な世界が交流の場だ。古代ギリシャ哲学者アリストテレスは、「多くの友を持つ者は、1人の友ももたない」と述べている。1人の人間が両手の指の数以上の友達を持つことは難しいのではないか。

話は飛ぶが、世界の指導者と呼ばれる政治家で現在、「友達」という言葉を頻繁に発信するのはトランプ米大統領だろう。ホワイトハウスの1日の職務を終え、就寝する前のつかの間、トランプ氏はツイッターでその日の歩みを振り返り、伝達し、そして友へのメッセージを発信する。

トランプ氏の「友達」と呼ばれる外国指導者の中には日本の安倍晋三首相が含まれている、安倍氏はゴルフ仲間であり、トランプ氏を最初に第45代米国大統領と認知して訪ねた外国人指導者だ。「友達」と呼ばれる資格は十分ある。

朝鮮中央通信より:編集部

トランプ氏から「友達」と呼ばれている世界の指導者は安倍氏だけではない。あの北朝鮮の独裁者、金正恩朝鮮労働党委員長もトランプ氏の友達サークルに入っている。米国と激しい貿易戦争を展開させている中国の習近平国家主席に対しても「我々は互いによく理解し合っている」と友達扱いしている。そのほか、ロシアのプーチン氏もトランプ氏から友達とまでは呼ばれていないが、限りなく友達に近い政治家だろう。

安倍氏を除くと、偶然かもしれないが、トランプ氏の友達には強権政治家、独裁者が多い。米国の政治信条や政策と対立、ないしはライバルの国の指導者が多いことだ。習近平主席の中国とは世界の覇権争いを展開し、プーチン氏のロシアとは、軍事面で対立を繰り返し、前回米大統領選挙の不正関与疑惑問題でなどで対立している、といった具合だ。

もちろん、トランプ氏の「友達」という表現にはさまざまな意味合いが含まれているから、通常の「友達」とは比較できない。明確な点は、「友達」は、厳密にいえば、政治用語、概念ではない。政治の世界では「友達」という言葉を使わない。味方か敵か、同盟か敵国かという分類だ。その政治の世界に、トランプ氏は「友達」という全く異なった表現を駆使しているわけだ。

「シャーロック(ホームズ)には友人がいない」と実兄マイクロフトが語るシーンがある。それを初めて聞いた時、名探偵シャーロック・ホームズの世界は華やかな犯罪捜査の世界だけではなく、人間シャーロックの孤独な世界が浮かび上がってきたものだ。

トランプ氏はひょっとしたら本当の友達がこれまでいなかったのかもしれない。だから、世界最強国家の大統領に選出された後、トランプ氏は米国大統領という看板を使い、友達探しを始めたのではないか。

ついでに言えば、トランプ氏から友達と呼ばれる35歳の独裁者、金正恩氏にも自身の悩みなどを打ち明けることができる友達はいない。金ロイヤルファミリーの垣根内で生まれ、そこで成長していった金正恩氏は年齢差が大きいが父親・金正日総書記の料理人だった藤本健司さんが唯一の遊び友達だったという。金正恩氏は多くの側近、親族関係者を粛正してきたが、実妹、金与正(党宣伝扇動部第一副部長)さんだけが金正恩氏の悩みや苦境を知り、そのメンタル・ケアをしているのだろうか。

ワイルドな資本主義世界の中で歩んできたトランプ氏、そして金ロイヤルファミリーの世界で成長し、遊び友達もいなかった金正恩氏が後日、朝鮮半島の非核化問題が契機となって会合し、年齢差、世代の差を超えて交流できる「友達」に発展していったのだろうか。

はっきりしている点は、政治の世界の「友達」の賞味期限は他の世界よりも短いことだ。時の政情が変わると、「友達」は政治の舞台からあっさりと姿を消していくからだ。いずれにしても、トランプ氏も金正恩氏も自分の心の世界を理解してくれる変わらない友達を探している点では同じだろう。

聖書には「友」について言及した有名な個所がある。新約聖書「ヨハネによる福音書」15章13節にイエスは「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」と述べている。旧約聖書には、イスラエルの初代国王サウル王から追われるダビデを守るサウル王の息子ヨナタンとの交流が記述されている。王になったダビデは後日、ヨナタンの息子(足の不自由な障害者)を王の食卓に招き、土地を与えて、戦場で亡くなった友人ヨナタンの恩に応えている。ダビデとヨナタンの友情物語は読む者の心を動かす。

最後に、「友達」に関する名言を探した。フランスの作家アルベール・カミュの言葉だ。

Don’t walk behind me; I may not lead.
Don’t walk in front of me; I may not follow.
Just walk beside me and be my friend.
(どうか私の後からついてこないでほしい。私は多分、導くことができないから。私の前を歩かないでほしい。多分、ついていかないから。ただ、私と一緒に歩いて、友であったほしい)

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年7月7日の記事に一部加筆。

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