経済理論が次々と風化する時代

2019年07月13日 06:00

貿易も財政も金融も

リカード(Wikipedia:編集部)

国際金融の世界で活躍した元官僚高官を囲み雑談していましたら、「リカードの理論はもう死んでしまったか」と、ぽつりと語りました。印象的な指摘でした。リカード(1772~1823)は英国の大経済学者で、自由貿易の基本的な概念である比較生産費説を唱えました。19、20世紀を通じて、自由貿易を推進する支配的な経済思想となりました。

そういわれてみると、産業革命以来の経済成長、貿易市場の世界化を主導し、現在の社会を築くのに貢献してきた多くの基本的理論が風化するか、歴史的な役割を終えるかしています。理論が間違っていなくても、政治体制が誤用、悪用する時代です。さらに経済社会が複雑になり、かつてのように基本的な原理を提唱するだけでは済まず、様々なバリエーションが必要になっているのでしょう。

財政政策を積極的に活用するケインズ主義、フリードマンが主導したマネタリズム(貨幣数量説)もそうです。ともに誤用か悪用されてきました。中央銀行の独立性を重視する考え方、市場経済と民主義が両立するとの政治経済思想という基本原則も、風化してきました。よかれと思ってやったのに、格差の拡大や社会の不安定化など、意図せざる結果を招いている場合も多いのです。

冒頭に申し上げた「リカード理論の死」の一つのきっかけは、トランプ米大統領が推進する「アメリカ・ファースト」(自国第一主義)でしょう。自由貿易より自国の利益を上位に置き、国内産業を守るためには、制裁関税、報復関税を強引にかける保護主義的な政策を進めています。トランプ氏の眼中には、リカードは入ってきません。

5割を切ったか自由貿易のシェア

福岡で開かれたG20(主要20か国財務大臣・中央銀行総裁会議)では、米中貿易摩擦が最重要のテーマになりました。新聞は「米中対立でG20すくむ。世界経済の脅威は継続する貿易摩擦に根差している」と書きました。保護主義に傾く米国、政府補助金で産業・企業を支える中国、その他を合わせ、世界市場に占める自由貿易の比率は後退し、5割を切っています。

自由主義経済学の始祖といわれ、経済学史上最大の古典である「国富論」と書いたアダム・スミス(~1790)以来、自由貿易が世界に広がりました。スミスの国際分業論を精緻な理論に発展させたのがリカードです。グローバリゼーションの波に乗って、広がった自由貿易は理論的な正しさは変わらなくても、実際の自由貿易のシェアは落ち、後退期を迎えたのでしょうか。

経済学の教科書に必ず載っている他の経済理論も、少なからずリカードと同様の運命をたどっています。「死んだ」というより、「歴史的な役割を終えた」「理論を単純に適用できるほど、現実の経済社会は単純でなくなってきている」というのが正しい言い方かもしれません。

世界恐慌(1929)で資本主義が危機を迎えた時、国家が公共事業を起こし、有効需要を生み出すことを提唱したのがケインズ(英)です。均衡財政でなく、財政赤字を容認する経済学です。景気が回復すれば、税収が増え、赤字は解消に向かう。財政政策の大転換を主導したのがケインズです。

ケインズ主義も誤用や乱用

ケインズ(1883〜1946、Wikipedia:編集部)

次第に、ケインズ主義が安易に扱われるようになり、際限のない財政赤字の膨張を招いています。「不況になると財政出動をする」「景気回復で税収が増えても、公債の償還・減額にあてず、また使ってしまう」「そのうち景気が後退すると、それ財政出動だ」の繰り返しです。

現代社会では、財政赤字の最大の原因は公共事業ではなく、予算の最大の項目になっている社会保障費(年金、医療)です。財政再建をしたいと思っても、挫折の連続です。経済成長の鈍化で税収が伸びず、だからといって社会保障の改革には民意の抵抗がある。

最後に残った財源は消費税なのに、「10%に引き上げたら、今後10年は上げない」と、選挙対策で無責任な発言を口走りました。お先真っ暗な年金の将来展望については、金融庁によるせっかくの報告書を麻生副総理がこれまた選挙対策から「受け取らない」という始末です。

ケインズ主義はケネディ大統領下の1960年代がピークで、その後、風靡したのが同じく60年代に登場したフリードマンのマネタリズム(貨幣数量説)です。「物価や名目所得の変動を左右する主な要因は貨幣量(マネーサプライ)の変動にある」との考え方です。

その根底には、「市場機能だけでは経済の安定化はできない。政府の介入が必要だ」とするケインズ主義への批判があります。マネタリズムは「私企業の経済活動は、自由にさせて、市場機能にゆだねよ」の思想です。経済理論の選手交代です。

マネタリズムを盲信して、異次元金融緩和に踏み切ったのが安倍首相と黒田日銀総裁のコンビです。黒田総裁は「マネーサプライを2倍にし、2年で消費者物価上昇率を2%にする」(13年4月)と、断言しました。無残な結果に終わっています。理論の誤用です。

日本市場を海外から遮断した密室状態にすれば、実現できたかもしれません。そんな密室状態にできるわけはなく、海外からの輸入、マネーの移動(円安、円高効果)、原油価格のような海外要因などに左右される時代です。マネタリズムは頭の中を整理するのに役立っても、杓子定規に使ってはなりません。

次々にこうしたケースをみていると、主要な経済理論の風化、破綻ばかりが目に入ってきます。財政政策に関するシムズ理論、現代金融理論(MMT)にしても、極めて厳格な前提を置かないと成立はしないでしょう。もっとスケールの大きな理論を提唱する学者はいないものでしょうか。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2019年7月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。

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中村 仁
ジャーナリスト、元読売新聞記者

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