大阪を見ていれば10年後の日本の姿がわかる!先進福祉都市の伝統

こんにちは。参議院議員大阪選挙区候補者の太田房江です。

この選挙戦、私がもっとも重視する政策としては「2025年大阪万博をゴールとせず、スタートとする」。後世にどのようなレガシーを残すかを提起させていただいてます。

そして私は、「国際健康長寿センター(仮称)」のような機関を創設し、世界各国で効果があると伝承される「医療」や「健康法」がなぜ人体に効くのか、データを収集し、これを研究・発信する国際的研究機関とするなど、健康長寿になるための効果的な方法を定期的に提供することで、大阪に集積する企業のさらなる事業展開につなげていけないかと考えます。

近畿経済産業局HPより

私は、大阪はそうした先進的な福祉の伝統と土壌があると思うからこそ、この構想を提起しています。

以下は拙著『ノックととおるのはざまで』(ワニブックス)でも書いたことですが、私が東京から大阪に移った時、最初に「大阪ってすごいな~」って思いました。車椅子に乗った人たちが堂々とみんな積極的に外に出て、和気あいあいやっている姿でした。みんなが自然に支え合っているのを見て、「支え合う」という精神がまだこの街には根付いているんだなと感じたんです。

車椅子の人も萎縮することなく堂々としてるし、何か問題があれば文句も言う。当時、東京ではそういう人を街であまり見かけなかった印象があります。

だから私は、精神面でのユニバーサル化がいち早く進んでいたのが大阪だと思っていて。そういう意味では弱者を大事にする文化が前々から根付いていたんでしょうね。この地で民生委員制度が生まれたのも理解できました。私は知事になって、「大阪は10年早くこの世を生きてる街だな」と感じました。

林市蔵・大阪府知事(写真、Wikipediaより)

民生委員制度は今からほぼ1世紀前の1918年、大阪府でできた当時の方面委員制度と、同時期に岡山県でできた済世顧問制度をベースにして誕生しました。当時の林市蔵・大阪府知事が街で見かけた夕刊売りの母親と女の子のことが気になり、近くの交番の巡査に調べてもらったところ、父親が病気で倒れて経済的に苦労していることを把握しました。

これをきっかけに方面委員制度創設に動くことになり、住民の生活状態を調べて、支援を必要としている人たちを助ける基盤ができました。林知事も子どもの頃に貧しさで苦労したことから、いまでいう「アウトリーチ」の手法の重要性を認識されていたのだと察します(参考:大阪府民生委員児童委員協議会連合会HP)。

翻って現代の大阪の福祉を取り巻く環境は変化しています。昔からのコミュニティがだんだん消えていき、個性を失って画一化するなど、縦割りの弊害がたくさん見えてくるようになっているのは残念です。そういう意味でも、大阪の街というのは、日本の社会を先取りするようなところがあるなと、知事をやってる間に思ったものです。

だから、大阪を見ていれば、10年後の日本の姿がわかるかもしれません。しかし、この福祉における先進性と伝統を大阪人が脈々と受け継いできたからこそ、万博を通じて、少子高齢化の時代にふさわしい福祉都市のモデルを打ち出し、10年後の日本をリードできると信じています。


太田 房江(おおた ふさえ)参議院議員、元大阪府知事
1975年通産省(現・経済産業省)入省。2000年大阪府知事選で初当選し、日本初の女性知事に。2008年に知事退任後、民間企業勤務を経て、2013年参院選で初当選。厚生労働政務官などを歴任。公式サイトツイッター「@fusaeoota」LINE@