ペルーで100歳のいまも現役で活躍する医者の話

白石 和幸

南米ペルーで100歳で現在も現役の医者としてドス・デ・マーヨ病院で活躍している人物がいる。この病院はペルーで1538年に創設された南米で最も古い病院だ。


彼の名前はフェデリコ・ラウル・ヘリ・バスケス(Federico Raúl Jerí Vazquez)。1919年11月24日生まれ、専門は精神神経科。これまで140本以上の研究論文を発表し、著書には「神経学レクチャー」、「ペルーの麻薬使用による疫学研究」、「専門でない医師の為の神経学」などがある。彼の研究で高く評価されているのは「コカインによる副作用」並びに「ヒト免疫不全ウィルス(HIV)と精神疾患との関係」である。

(参照:expreso.com.pelagranepoca.comapp.org.pe

医者になろうと決めたのは12歳の時だったという。彼の父親が喉の炎症から敗血症に罹り、フェデリコは父親の死は間違いないと感じていた時に医師エドゥアルド・ロリの治療のお陰で助かった。その時に幼少のフェデリコは医学に魅了されたという。

そして、彼が精神神経学を選んだ理由は精神科の医師で政治家で閣僚にもなったフルオ・オスカル・トゥレイェスが医師としてまた神経系の病気についての見識の豊富さに魅了されたからだという。

(参照:andina.peentornointeligente.com

18歳になるとサン・マルコス大学で生命科学を修学したのが医師になるための始めだそうだ。それが医学部に入るための必須だったからだという。同大学で博士号を取得し、奨学金でケンブリッジ大学とハーバード大学のそれぞれ大学院でも修学し、マサチューセッツ総合病院でも実習。更にロンドンのクイーン・スクエアー・ホスピタルでも修学。同様にスペインとフランスでも病院を備えた大学で学習兼実習を経験した。

外国での修学を一旦終えたフェデリコはペルーに戻り、神経学の主任教授としての資格を取得して患者の精神的疾患の基礎学を学生に教えた。それは医師が患者を前に頻繁に直面する課題だからである。 この指導においても彼が異なった国で学んだことが有益となっているという。

フェデリコがまだ学生だった頃にサン・マルコス大学に入学した時から普通の学生とは異なっていたのはノートと鉛筆をもって毎日病院に通って患者の症状などから疑問点を回りの医師などに尋ねていたということだ。この実践は、死にかけていた父親の命を救った医師エドゥアルド・ロリが当時12歳の彼に言った「医者に成りたいのであれば、夜勉強しなさい。日中は病院に行って患者を診ることだ」という助言に感動したから。この教えは現在彼が学生に伝えているという。

フェデリコが医者になって感謝して思い出すのはビクトル・ラルコ・エレラ病院に勤務していた医師オノリオ・デルガド。彼は名医で、哲学者でまた教育者でもあった。フェデリコは「エレラから精神学について全てを学んだ。特に、患者とその家族に対し丁重で礼儀正しく振る舞うことを教えられた」と取材で語った。

フェデリコの患者のひとりロミナ・ロペスは「先生はとても人間的で、患者のことをよく気にかけてくれる。先生は我々の友達だ。いつも温かみのあるほほ笑みをもって診察してくれる。お陰さまで、ヘリ先生の看護で今は健康でいられる」と語っている。

ドス・デ・マーヨ病院の神経科のマルコス・ニャビンコパ部長はフェデリコの生徒でもあったが、「この病院にとって我々医師の中にヘリ先生がマスターとしていてくれるのは誇りである」と述べている。また、彼が1971年からフェデリコの生徒だった時のフェデリコの指導は常に最高度の要求をしていたそうだ。それは生徒が医師として適切な指導を受けて育つためだったという。

この病院以外にフェデリコはこれまでアルソビスポ・ロアイサ病院、神経科学国立協会、警察病院などで勤務した経験がある。

その一方でサン・マルコス大学での教鞭も続けている。なお、2000年から名誉教授となっている。

家でテレビを見たり本を読んだりするのではなく、100歳になっても医師としてどうして病院に勤務しているのかという取材班からの質問に、「精神的あるいは医学的に支えを必要としている患者または同僚の医者が問題を私に尋ねて来た時に、私がいることが有益だと感じるからだ。それが病院に毎日足を運ぶ動機になってくれている。それは家で本や医学雑誌を読むよりも遥かに興奮させてくれる」と語ったという。

彼はまた「完全な幸せはあり得ない」と語っている。「助ける行為が人を幸せにさせ、他人のことを気にかけてあげると自分自身のことも忘れる。それが必要なことだ」と述べている。

健康を保つ秘訣は肉体的そして精神的にも注意を払うことだという。ローマ人が言った「健全な精神は健全な肉体に宿る」ということを忠実に守ることが長寿の基本だそうだ。タバコやアルコール類は嗜まない。彼のDNAが長寿のそれであることも彼が長生きできている理由でもあろう。というのは、彼の二人の妹は97歳と93歳で現在フランスに在住しているそうだ。(参照:andina.peentornointeligente.com

しかし、その一方で長生きすることで悲しみもあるという。彼の周囲で彼の友人や医師が亡くなっていることだという。また彼の3人の子供の内の2人も先に亡くなっている。また彼の夫人も8年前から脳死で植物状態になっているそうだ。それでも孫は8人、曾孫は14人いるそうだ。(参照:peru21.pe

白石 和幸
貿易コンサルタント、国際政治外交研究家