何度も「諦めるか」って言えばいい。それでも政治を前に進めるために --- 小松 樹英

2019年07月20日 16:01

参院選がいよいよ最終日。
泣いても笑っても今日が最後です。

東京選挙区の「おときた駿」
全国比例区の「やながせ裕文」
の合同選対のコアメンバーとして、今日に至るまでを少しだけ振り返ってみます。

あたらしい党の立上げと北区長選挙

わたしたちは、昨年10月、地域政党「あたらしい党」を立ち上げました。

クラウドファンディングで立ち上がった政党として、注目を浴びたことも記憶にあたらしいかと思います。
都内を中心に10人の議員を誕生し、各地で「これまでの政治家には絶対になかった視点」で、議席にバリューを生み出しています。

大将のおときた駿は、北区長選に挑戦。
全国最高齢の84歳区長に、35歳が挑みました。

北区は23区中財政状況も高齢化率もワースト。このままでは、この街が沈んでしまう。
沈んでからでは遅い、子どもたちの未来のために、いま、変えていこう。

たくさんの人が期待してくれたけれど、
ガチガチの組織選挙にやられました。

54,072票で落選。1万票も差がつきました。

あの日の夜、
「次の打ち手を考えよう」という声。
「負けてすぐに次の選挙の話か、おかしいだろ」という声。
支援者の中でも意見が割れ、
確かな答えがわからず、そのもどかしさに帰りのタクシーで悔しくて、悔しくてボロ泣きをしたのを今でも鮮明に覚えています。

「4年後の北区長選を目指してほしい、別組織から選挙に出るってどういうことなのか」
「4年間も眠らせるのはもったいない。国政でひと暴れしてこい」

きっと、言いやすいからみんなコマツに伝えてくれるのだろうな、と思いながらも、
わたしはわたしなりに真剣に悩んでいました。

「参院選に挑戦したい」
ゴールデンウィーク明けにその言葉を聞いた時はどこか自信がなさげでした。3年も一緒にいれば分かります。

私も、当時は出馬慎重派だったので、「出た方がいい」という人たちが なんとなく、おときた駿をいいように利用したいのではないか、そんな疑念を持ちまくっていました。

悔しさともどかしさを抱えながら、朝の3時ごろまで大激論を交わしたこともありました。

真剣だったからこそ、
「こんなんじゃ勝てるわけがない」
「負ける選挙に挑むのは有権者への1番の裏切りと教えてくれたのはおときたさん、あなた自身です」
23歳ごときのコマツも、言いまくりました。

「歩みを止めてはいけない、私たちは挑戦者だ」

この言葉が、本人の口から出てきたのは5月の半ばだったでしょうか。
この言葉を聞いて、「よし、もう一度戦おう」そう決心がつきました。

それでも

「あたらしい党はどうなるの?」
「維新の下部組織に成り下がった」
「そろそろ小松も手を引け、お前のためだ」

いろんな人にいろんなことを言われました。

「おときたに入れた北区民は裏切られたように思う」

これは一理あるな、やっぱ出ない方が良かったのでは…と思うこともありました。
こんな不安も、北区民のみなさんが払拭してくれました。

「だから、私たちは挑み続ける。闘い続けるんです」|小松 樹英(こまつ みきひで)|note(ノート)

先送り政治に立ち向かう。
これは区長選のときと、参院選のときとで言っていることは変わりません。

あたらしい党×日本維新の会。東京からあたらしくしよう。

今回の参議院選挙。
日本維新の会は、「各地の地域政党の代表を維新から国政に挑戦するプラットフォームに」という構想を掲げています。とはいえ。

「東京は、あたらしい党。おときたさん。」
自分たちの親分に、党代表に、こう言われることに、さぞ辛い思いをした人もいたと思います。
「東京維新を作ったのは俺らだ」もし自分が維新の議員ならそう思ってしまうはず。

あたらしい党もそうでした。
国政選挙なんかノウハウがないので、おんぶにだっこになりがちではあるものの、
カルチャーの違うなかで「ワンチーム」を築き上げるのは本当に大変なことです。
子育て中のママ議員も多くいる中で、「夕方に帰るなんて選挙をなめてんのか!」なんて思われることもあったかもしれません。

緩衝材(?!)なコマツは双方からボコボコにされる始末。苦しい時もありました。

街頭でも「維新なんて大阪でやってろよ」といわれることもしばしば。
選対本部長を務めてくださっているF先生と初対面の際に「無礼も承知ですが、テーマは脱大阪です。大阪の話だけでは勝てないと思います」なんていう話もしましたが、いまや前面から「東京カラー」を打ち出せている自信もあります。

東京都議会議員を務めたおときた・やながせ両氏だからこそ、東京のための、若い世代のための政治を全力で進めてくれるに違いありません。

「絶対に勝てない」
そう言われたこの選挙も猛追して、ぶち抜いて、大混戦状態まで持ってきました。

これは、あたらしい党だけでも、
もちろん東京維新の会だけでも、
なし得なかった挑戦です。

支援者の方も含め、維新の皆さんから学んだことも多くありました。

たとえば「あたらしい党はどうなるの?」という問い。
勝ったとしても、半分は日本維新の会のおときたさん、になるのも事実。
その答えは、堺市長の永藤さんが教えてくれました。

「橋下さんが退いた後でも、改革の実績をたしかに残してきたから、認められている」

維新の皆さんはとにかくやる、やりきるパワーがすごい。
そのパワーでなんとか実績を作り上げていく。それこそが信頼を勝ちとってきた鍵なんだ、と鳥肌が立ちました。

大阪維新の会は立党から10年かけて、橋下徹さんというカリスマ、松井一郎大阪市長という親分肌、
吉村洋文知事、永藤ひでき堺市長という次代のエースを生んできたように、私たち「あたらしい党」も長いスパンで、あたらしい政治をどう作り上げていくか考えていきたいと思います。

ちなみに、あたらしい党の「首長を取って、目に見える改革を実現していく、実感していただく」というビジョンは、まさに大阪がロールモデルでした。

圧倒的にポテンシャルが高い東京で出来たら、この街はもっと成長できる。
大阪の事例をお手本として、一つ一つこの東京でも実践していきます。

何度も「諦めるか」って言えばいい。それでも政治を前に進めるために。

みんなが美しいストーリーで勝てる選挙なら良かった。でも北区長選挙には負けました。

政治家でいたいなら、いっそ自民党に行ってぬくぬくする方が良いのでしょう。
でもそうじゃない、それじゃいけないんだ。

しがらみのない選挙は、楽じゃありません。
周りの心も体もボッコボコになります。なってます。でも、その道を選んだ以上、全てこの荒波に体を張って挑むしかない。

「何度も『諦めるか』って言えばいい」

選挙期間中、何度も何度も聞いたある曲のこのワンフレーズを、
何度も何度も言い聞かせて、「私たちは挑戦者だ、挑み続けるんだ」と気持ちを高めます。

さぁ、本当に最終日。
この記事を書きながら、埼京線で十条へ向かっています。

ぶち抜く。

おときた駿のためじゃない。

10年後、20年後の私たちの未来のために。

それでも、政治を前に進めていくために。
力を貸してください。

小松 樹英 (こまつ  みきひで) あたらしい党 スタッフ
1996年生まれ、23歳。外資系コンサルで働きつつ、地域政党 あたらしい党を育てるトライセクター

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑