信託財産の主体性と信託の本旨

信託の本旨という言葉は、日本の「信託法」にある用語である。同法二十九条は、「受託者は、信託の本旨に従い、信託事務を処理しなければならない」というふうに受託者の義務を定めているわけである。同法には、「信託の目的」という用語もあるが、かつて信託法の権威であった四宮和夫は、信託の本旨について、「「信託ノ目的」を、信託のあるべき姿に照らして理想化したもの、換言すれば、委託者の意図すべきだった目的」と解説していた。

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信託は、委託者によって設定されて信託となるのだから、原点に、信託の目的、即ち、委託者の意図の存することは自明である。しかし、日本の「信託法」は、目的と本旨という二つの言葉を使いわけており、四宮和夫も、本旨を目的とは異なるものとして、「信託のあるべき姿」とか、「委託者の意図すべきだった目的」と表現しているように、信託の本旨は単なる信託の目的ではなくて、その上位の次元にあるもの、信託の目的を律する原理ととらえられていたと思われる。

日本の信託のもとになった英米法のTrustは、英国の中世に起源をもつ独自の歴史的所産で、実は、契約ではない。それは、信託財産を媒介とした委託者と受益者との関係であり、その関係こそがTrustの本旨であり、その本旨が受託者を強く拘束し、受託者に厳しい諸義務を課するところにTrustの本質があるのである。

日本では、信託は契約である。しかし、契約といえども、いわゆる契約責任として、契約当事者を拘束する契約内在的な諸義務の発生し得ることは、よく知られている。日本の信託の契約も、Trustの歴史的淵源とは無関係に理解されてきたはずはなく、単なる契約を超えてTrustの理念の解釈を介した独自の信託理解の形成があったはずなのである。

実際、四宮和夫は、信託財産に実質的に独立した法主体性を認める独自の学説で知られ、それが実務にも影響を与えてきたわけが、この学説こそ、Trustの日本への接受の工夫だったと考えられるのである。その核心が信託の本旨であって、それは受託者が負うべき厳格な義務と委託者をも拘束する独立性なのである。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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