創業社長とサラリーマン社長

創業社長とサラリーマン社長、よく出てくる比較です。日本の大手企業はほとんどがサラリーマン社長、一方、GAFAと称されるような巨大企業に育ったところはアップルを除いて概ね、創業社長が指揮を執ります。何がどう違うのでしょうか?今日はそのあたりを考えてみたいと思います。

写真AC:編集部

いきなり私ごとで申し訳ないのですが、私は関連会社ながらサラリーマン社長から独立した経緯があります。ある意味、両方を経験しています。サラリーマン社長の時は今思い返せばお気楽でした。なぜかといえば自分への任務は「与えられた業務をうまくやること」であって、失敗してもその程度次第ですが、叱責されるか、別の場所に飛ばされる程度で済みます。

独立した時、思ったのは「自分は屏風である」ということです。サラリーマンの時は屏風の前に立っていたのですが、今度は自分自身が屏風であり、その前に立つのも自分である点でしょうか?

金屏風という言葉があります。関連会社のサラリーマン社長における金色の屏風には本社、銀行、株主…といった幾層もの支える体制があり、自分が倒れても必ず誰か代替が効く仕組みになっています。ところが独立したら自分しかおらず、財布は自分のポケットに直結しているとすればその重みは全く違います。

ある意味、ビビっちゃうわけですが、ある程度事業をやって経験を積んでくるとリスクテイクの程度が見えてきます。自分の稼ぎや会社の資産具合と比べて次の攻めはどこまでできるか、そして失敗したらどの時点で撤退すべきか、わかってくるのです。

もう一つは事業一つひとつへの熱意でしょうか?自分で立ち上げているわけですから細かいことまで分かっています。ある程度成長してくれればあらかた自動で動いてくれるのでその間に新規事業を立ち上げたりまだ孵化(インキュベーション)の状態のビジネスのテコ入れをします。

私のレンタカー事業なんてテコ入れし続けているうちに小さい事業だけどかわいくてしょうがなくなり、今でも車の掃除をして顧客のアテンドをするわけです。だから7月の成績は過去最高の売り上げとなっていますが、儲けたくてやるというより、一流ホテルとの信用関係を築いた上での連携強化やレギュラーカスタマーのニーズに応えるという意義で仕事をさせて頂いています。

ではサラリーマン社長の時代はどうだったか、といえばそんなことは考えなかったと思います。事務所で上がってくる報告や資料を読み込み、社内や業者からの声を吸い上げ、事業の想定を行い、本社に適宜報告する、という一種の「取りまとめ役」だった気がします。仕事に「愛」があったか、といえば「恋愛」だったと思いますが、「熱愛」ではありませんでした。

理由の一つには給与は社内の他の人間とほとんど変わらず、肩書の分、責任だけ負わせられることに自分にそれ以上踏み込める状況を作れなかったことがあるでしょう。

私は北米で多くの上場会社に投資をしている関係で投資先からは株主総会の案内が来ますが、その中には報酬欄があります。トップの多くは成功報酬が7-8割以上を占めることでしょうか?月々のサラリーなんて知れています。ゼロという人もいます。CEOや社長になるとそれぐらい結果重視になる、つまり、サラリーマン社長じゃなくてプロの経営者になるということなのでしょう。

日本の場合、何十年と同じ会社にいて双六の上がりのような形でトップに就く社長さんも多く見受けられます。会社や社員をよく知っている点では申し分ないのですが、ブレイクスルーができないかもしれません。また、社長になった瞬間、あなたの報酬は月10万円、あとはボーナス連動で成果次第で年に1回5000万円上げましょうというのとサラリーマン時代と同様、月100万円の報酬で、というのとの違いです。ある程度の企業になると利益処分案で役員報酬が決定されていますが、なんとなく一般社員のボーナスと似たようなイメージが残っています。

社長とは別次元のポジションなんだ、ということを肝に銘じてもらいたいと思います。社員と仲良くやる、という方針の会社もあります。それはそれで結構ですが、社長はなぜ、社長なのか、何をするために社長になったのか、目的意識と強い意志を持つことが社長の使命であり、そこが創業社長との迫力の違いなのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年8月4日の記事より転載させていただきました。