イスラム教徒の「大巡礼(ハッジ)」のボイコットを叫ぶ声

サウジアラビアのメッカでイスラム教徒の大巡礼(ハッジ)が9日から始まるが、ハッジをボイコットすべきだという声が世界各地のイスラム教徒指導者から飛び出している。

▲サウジのメッカ巡礼の風景トルコ・ラジオ・テレビ協会(TRT)公式サイトから)

▲サウジのメッカ巡礼の風景トルコ・ラジオ・テレビ協会(TRT)公式サイトから)

ハッジはイスラム教徒にとって「5行」の一つ。人生で1回はメッカ巡礼を求められており、毎年世界各地からメッカ巡礼者が集まる。サウジ側によると、今年も230万人の参加が予想されているという。ジッダやメディナには既に数週間前から約6000機のメッカ巡礼特別機が到着済みだ。

ハッジはホスト国サウジにとっても最大の宗教行事の一つであるとともに、経済的メリットのある行事だ。ハッジで100億ユーロ以上の金がホテルやレストランなどに入るビックビジネスだ。ちなみに、巡礼者の4分の3は外国から、4分の1はサウジ国内からという。

ハッジ巡礼者はカアバ神殿の周囲を最初は速足で4回、それからゆっくりと3回、計7回、反時計回りする。可能ならば、黒石に触るが、多数の巡礼者が殺到し、ハッジでは過去、将棋倒しで多くの巡礼者が亡くなるという惨事が起きている。それでも、世界からハッジを目指して集まってくるわけだ。今年初めてメディナとメッカ間450キロを高速列車が走る。バスで6時間かかったところを2時間で済むというから、巡礼者には朗報だ。

ところで、今年は少し様子が違ってきた。イスラム教徒にとって聖業、ハッジの参加をボイコットすべきだという声が異教徒からではなく、イスラム教指導者から聞こえてくることだ。しかし、理由はある。

スンニ派の盟主、預言者ムハンマドの母国サウジへの批判だ。特に、サウジがイエメンの内戦に関与し、多くの国民を困窮下に陥れていることへの批判だ。イエメンではスンニ派政権に対して少数派シーア派反政府武装組織「フ―シ派」が対抗し、武装闘争は既に5年目に入っている。イエメン政府の背後でサウジが武器や資金を提供する一方、反政府側にはシーア派の代表、イランが支援するというサウジとイランの代理戦争の様相を深めている。

もう一つはサウジの反体制派ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(59)が昨年10月2日、トルコ・イスタンブールのサウジ総領事館で殺害された事件だ。事件の背後に、2017年6月、父親サルマン国王から王位継承者の皇太子に昇格したムハンマド皇太子が自身の改革路線を批判するカショギ氏の殺害を指令したことが明らかになってくると、欧米諸国ばかりか世界のイスラム教指導者からも批判の声が出てきた。ムハンマド皇太子は就任後、サウジの近代化を提唱し、反体制派の皇室関係者や政治家を粛正してきた経緯がある(「サウジが直面する“第2の国難”」2018年10月27日参考)。

サウジを取り巻く中東情勢はトランプ米政権が発足して以来、急速に変わってきた。スンニ派盟主サウジはシーア派のイランの中東制覇に対抗するために、これまでの宿敵だったイスラエルに接近し、サウジ・イスラエル同盟でシリア、レバノン、イエメンなどで軍事支援を展開するイランを包囲する戦略を敷いてきた。ムハンマド皇太子はイランの最高指導者ハメネイ師を「中東の新しいヒトラーだ」と激しい敵愾心を見せているほどだ。すなわち、中東の政情が分裂してきたのだ。その影響がイスラム教の聖業、ハッジにも影を投じてきたというわけだ(「サウジとイスラエルが急接近」2017年11月26日参考)。

オーストリア代表紙プレッセ(8月7日)によると、米国、カナダ、チュニジア、リビア、カタールのイスラム教指導者たちがハッジ・ボイコットを呼びかけている。インターネット上でも「ボイコットハッジ」が炎上しているという。リビアのムフティ(イスラム教指導者)は、「ハッジの収入は他のイスラム教徒を殺害するサウジの指導部を助けることになる」と非難し、「1回目の巡礼はいいが、2回目のメッカ巡礼はむしろ罪だ」と言い放っている。

イスラム教の知識人は、「ハッジは精神の純化をもたらし、神に近づける業だが、反体制派ジャーナリストを殺害し、イエメンで多くの兄弟姉妹を飢餓に苦しめているサウジ指導者はハッジの精神とは一致しない」(プレッセ紙)と語っている。

敬虔なイスラム教徒は1日5回、どこにいてもメッカの方向に向かって決まった時刻に祈る。最近は、携帯電話のGPSでメッカの方向を探す若い信者の姿が見られる。そしてお金を貯めて人生で1度はメッカ巡礼に行くことを夢見る。

イスラム教指導者がその聖業、ハッジのボイコットを呼びかけるということはこれまでなかったことだ。それだけ、サウジを取り巻く政情は緊迫しているのだろう。ただし、多くの一般のイスラム教徒には「巡礼は政治とは無関係だ」と受け取られている。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年8月9日の記事に一部加筆。