重い雲がのしかかる今年の終戦記念日

2019年08月15日 14:00

1945年8月15日。日本人なら誰もが忘れられない日であります。その日以降、日本は戦争を放棄し、世界平和を祈り続けてきました。幸いにしてその後、原爆が実践で使われることもなく、日本の祈りは世界の人々に伝わったようです。

Wikipedia:編集部

何故戦争が起きるのか、何故、人は争いごとをするのか、これは永遠のテーマでしょう。小さな争い、例えば学校の成績を競う争いや仕事で営業成績を上げる競争はプラスの意味合いがある争いです。しかし、近所とのもめごと、いじめ、あるいは知らない人と肩がぶつかっただけで争いを起こすのはストレス、快感、威圧の姿勢などかと思います。

日本人は「サル山の大将」になりやすいとされています。大所高所から見れば「目糞鼻糞を笑う」程度の差なのですが、その微妙な差に人は優越感を持ったりします。体育会系のしごきなどはその典型で一年年長になれば自分の座る位置が変わるという論理性は儒教の精神かと思ってしまうほどでありますが、日本人は往々にして小さな差の中でうまく収まることを良しとする社会を育んできました。

一方、諸外国を見るとこれは猛獣であります。食うか食われるか、という勝負を先祖代々してきた大陸の人たちは常に圧倒的トップ、つまり支配者であることを望みます。私が集合住宅を開発していた時、欧米の成功者はなぜ、プレミアムを払ってでもペントハウスに住みたがるのか、と聞けば「その上には人がいないから」と至極単純な答えが返ってきます。その当たり前の答えの中に大陸の人の貪欲な野望があると読み取るには私も時間がかかりました。

このブログでも時折話題に出す「大陸の人は狩猟型、日本人は農耕型」という見方は有益だと思っています。私が以前から国際関係に於いて日本は英国と極めて似ていると指摘しているのは同じ島国だからであります。そして大陸側からすれば「島はちょっと変わっている」という評価が常に背景にあります。

一方、狩猟型の大陸では国境を挟み、いざこざがたえず、自分の陣地を守り、更に強大なものにするという発想はギリシャ、ローマの時代から何一つ変わらず、モンゴルが広大な地域を制覇したことは我々が学校で習った時、決してピンとくる話ではありませんでした。一方、大陸の人の受け止め方は全く違うはずです。常に制覇ということが頭にあるようです。

今日世界で起きているもめごとは同じ戦争でも経済戦争であったり、恣意行為であったり、サイバーを含むテロといったようにかつての戦争とは形を変えています。私は地上戦が主力だったような戦争は主要国ではもう起きないのではないか、と考えています。理由は一部の国を除いてそんな戦争に積極的に参加する兵士がいないことと近代兵器との効率性を考えれば大量の自国兵士の犠牲を前提とする地上戦に踏み込める時代ではないと考えています。

となれば核兵器も近代兵器も所有することによる威圧は確かにあり得ると思います。が、それではお互いに引くに引けなくなったのが最近の傾向ではないかと思います。つまり、新しい争いのスタイル、であります。当地の新聞にトランプ大統領のことをTariff Manと揶揄しているものがありましたが、関税という引き金を引き、「お前たち、これでも俺の言うことを聞かないのか」と迫るわけです。今まで関税という銃を突きつけられていた国はそれなりの交渉で纏まってきましたが、中国だけは一歩も引きません。メンツの国がメンツを賭けているのでしょう。

憲法改正への意欲は安倍首相の里帰りの際のインタビューから強く感じられました。その9条の条文は「…武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」でありますが、今、世界で起きている戦争は武力ではない手段を使っているとも言えます。

つまり、憲法の条文は明らかに時代にマッチしなくなりつつあります。戦争のやり方は明らかに変わってきています。経済戦争、関税戦争、サイバーテロという言葉が日常的に使われるようになっても日本はなぜか、蚊帳の外のような気がします。日本だけ島国で外から眺めているだけ、という時代ではないのです。

終戦記念日を迎えるにあたり、世界の戦争手段が変わりつつある中、日本が守らなくてはいけないことは何なのか、改めて考えるにはよい機会かと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年8月15日の記事より転載させていただきました。

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