八幡さんの『最強の日本史』と百田さんの『日本国紀』を読み比べた --- 浦野 文孝

寄稿

お盆休みに八幡和郎さんの『日本と世界がわかる 最強の日本史』(扶桑社新書)と百田尚樹さんの『日本国紀』(幻冬舎)を読んだ。

百田氏ブログ、テレビ朝日より:編集部

『最強の日本史』は中級者向け、『日本国紀』は誰でも読める初心者向けと言えるだろう。『日本国紀』は「犬のお伊勢参り」!?のようなエピソードも紹介されていて楽しい。家族には『日本国紀』を勧めた。

八幡さんの『日本国紀』に対する疑問はアゴラの3月24日の記事「日本国紀:10の売れた理由と10の重大疑問」にまとめられている。

『最強の日本史』は明治維新以降の頁数が大体30%だが、『日本国紀』は45%を占める。百田さんの真の意図は近現代史の記述にある。私も近現代史を中心に両著を比較してみたい。

太平洋戦争の位置づけと原因

『日本国紀』は太平洋戦争について以下のように断定している。

大東亜戦争は東南アジア諸国への侵略戦争だった」と言う人がいるが、これは誤りである。…日本はこれらの植民地を支配していた四ヶ国と戦って、彼らを駆逐した。…東南アジア諸国の歴代の首相や大統領、それに大臣や軍人たちの多くが、今日でも「独立は日本のお陰だった」と明言している。

『日本国紀』は、日本は米国との戦争を回避するように努力したけれども、石油の全面禁輸、ハル・ノートと追いつめられて開戦せざるをえなかったのだと強調している。

『最強の日本史』は大東亜共栄圏を否定し、戦争の原因は日本の国内問題だったとする。

アジア諸国が独立する契機になったとかいう話は、少なくとも東南アジア諸国がそのように評価してくれないと意味がありません。残念ながら、そうした諸国の教科書を見ても、日本が欧米に取って代わろうとしただけとなっています。…中国での権益維持と拡張に欲張りすぎたのは確かですし、軍部内の独走を許したのも国内問題です。

八幡さんの思いは著書『「日本国紀」は世紀の名著かトンデモ本か』(ぱるす出版)の「まえがき」にもある。私も賛成である。

日本はなにも悪くなくてアメリカが全部悪いと言わんばかりのトーンは、日本人同士では盛り上がるだろうが、世界に向かって訴えるには説得力がない。「日本だけが悪いのでない」というくらいに留めないと、孤立してしまう。(Amazonより)

『日本国紀』は外国語に翻訳されるだろう。日本のベストセラーだと知った時、海外はどう反応するだろうか。八幡さんの指摘が杞憂であることを祈る。

中国・朝鮮との出来事

『日本国紀』は南京大虐殺に6頁、慰安婦問題に3頁を割いている。『最強の日本史』ではそれぞれ3行、7行にとどまるのが残念だ。

『日本国紀』の記述は、保守派のかねてからの主張である。

日本軍による南京占領の後、「三十万人の大虐殺」が起きたという話があるが、これはフィクションである。…朝鮮人慰安婦に関しては、肯定派のジャーナリストや学者、文化人らが、「軍が強制した」という証拠を長年懸命に探し続けたが、現在に至ってもまったく出てきていない。

これらに大きな反論はないようだ。「30万人」が誇張であり、「強制」はなかったことが共通認識として認められているのだろう。そうであるならば、日本は国を挙げて、世界に対し、正しい情報を英語・中国語・韓国語で発信していくべきだと思う。

一方、関東大震災の時にあったと言われる朝鮮人虐殺について、『日本国紀』は以下のように述べる(『最強の日本史』では全く触れていない)。

流言飛語やデマが原因で日本人自警団が多数の朝鮮人を虐殺したといわれているが、この話には虚偽が含まれている。一部の朝鮮人が殺人・暴行・放火・略奪を行ったことは事実である。

これはアジアプレス・ネットワークの 4月9日の記事「百田尚樹氏『日本国紀』の「朝鮮人虐殺」記述の過ち」(加藤直樹) で否定されている。アジアプレスの検証には説得力がある。『日本国紀』は修正すべきだと思う(アジアプレスも『日本国紀』の南京大虐殺や慰安婦問題の記述については反論していない)。

八幡さんも「歴史戦の主戦場は、やはり中国と韓国との対決だ」と述べているのだから、これらの問題についても踏み込んでほしい。

GHQによる洗脳

『日本国紀』の第十二章「敗戦と占領」は百田さんが最も書きたかったことだ。WGIP(War Guilt Information Program)を紹介している。「本書の中で、これほど書くのがつらい章はない」とし、冒頭から激烈である。

わかりやすくいえば、「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」である。・・
この施策は結果的に日本人の精神を見事に破壊した。

『最強の日本史』はWGIPについて触れていないが、公職追放解除とレッド・パージに関連して、以下のように述べる。

アカデミズムやジャーナリズムのように、結果として極端な左派支配になった分野が21世紀の現在まで存在しています。教科書の世界などが典型です。

日本人の多くは、日本は戦前に悪いことをしたのだろうといった認識を何となく持っているだけだ。正しい歴史観がないから、中国人・韓国人に加害者だと責められて謝ってしまう。自虐史観に洗脳された人もいるだろうが、歴史観ゼロも多い。

令和になって『最強の日本史』や『日本国紀』のような通史が読まれ、日本人がしっかりした歴史観を持ち、自分の言葉で語れるようになることは望ましい方向である。中国人・韓国人の無茶苦茶な歴史観に反論できるようにならなければならない。

万世一系と史実と想像

古代からの万世一系についての見方は対立している。『日本国紀』では応神天皇、継体天皇の時に王朝交代があったのではないかとしているが、『最強の日本史』では否定している。

八幡さんは『古事記』『日本書紀』等の史料を(否定する明確な根拠がない限り)できるだけ忠実に解釈しようとするのに対し、百田さんは辻褄の合わないところは大胆に想像を巡らせる。百田さんは「…と想像する。ただし記録はない」のように記述しており、読者は1つの説だとわかるから問題はない。百田さんは神武天皇からではなく、継体天皇からの万世一系だと考えていることになる。

私は小学生の時、『日本の歴史ジュニア版全8巻』(前田晃/中沢圣夫、金の星社、1972年発行)で通史を学んだ。第1巻の「古代の物語と史実」にこんなことが書いてある。

「神功皇后の新羅征伐」は、思うに、この大勝利をピークとして、長い間の新羅関係を一つの物語にもりあげたものであったろう。これを皇后の征伐としたのは、すでに四道将軍があり、景行天皇があり、日本武尊があったのだから、こんどは一つ、趣向をかえて、皇子でなく、天皇でなく、将軍でないことにしようとしただけのことではなかったか。そして作者は、この新しい思いつきを大いに得意としたのであったかも知れない。

私は神武天皇や日本武尊や神功皇后は実在せず、長い間の複数の王朝の人物と出来事を1つずつの物語にまとめたのだと、ずっと信じてきた。

なにせ、神功皇后は夫の仲哀天皇と九州で死に別れ、身重のまま熊襲を退治し、三韓征伐をし、帰国して応神天皇を産み、都に戻って応神天皇の異母兄2人を退け、69年間も摂政をし、神功皇后が崩御してやっと応神天皇が即位したと言うのである。不自然すぎる。

神功皇后の功績は華々しい。どこかで王朝の交代があったのではないだろうか。そのぐらいの想像は八幡さんにもお許しをいただきたい。

浦野 文孝
千葉市在住。歴史や政治に関心のある一般市民。