フィデューシャリー・デューティーの衝撃

日本国憲法の前文には、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と書かれている。

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ここにいう信託とは、信じて託するという意味の日常語である。この前文は、国民が政治権力を信じて国政を託したのだから、託された政治権力は、信じて託した国民に福利を提供することにより、その責務を全うしなければならない、それが民主主義の政治の本質だという宣言である。

憲法前文の信託は、政治権力の行使の目的を国民の福利に限定しているのであり、その信託の本旨によって、受託者たる政治権力の権力行使を拘束するところに意義がある。国民は政府を信じて託した、その国民の政府に対する信頼は、こうして政府を拘束することで保護されるべきなのである。

信頼が保護されるべきことは、政治に限らない。何事であれ、他人を信じて他人に託するというのは、よほどの信頼関係に基づくのでない限り、なし得ないことであるから、もしも信じて託するならば、信じて託したことの信頼関係について、特別の保護が必要なはずである。

実際、英米法では、信頼されて信じて託され人をフィデューシャリー、そこに成立する高度な信頼関係をフィデューシャリー関係、信頼関係を守るべくフィデューシャリーに課される義務をフィデューシャリー・デューティーと呼んで、法律上の保護を与えている。

いうまでもなく、代表的なフィデューシャリー関係がトラストなのである。トラストが日本法に輸入されたとき、信託という言葉が当てられ、「信託法」ができたのだが、残念ながら、日本の信託にはフィデューシャリー関係の法理は接受されなかったのである。

故に、2014事務年度の金融行政方針において、金融庁がフィデューシャリー・デューティーを導入したときには、金融界の驚きと衝撃は極めて大きかったのである。しかし、よく考えてみれば、驚く金融界のほうがおかしかろう。金融機関こそ、信じて託されているものの代表なのだから。

それから5年、フィデューシャリー・デューティーは、法制度化はされていないが、金融機関が自己規範として採択することにより、法律に準じた効力を発揮し始めたところである。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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