八幡さんの『「日本国紀」は世紀の名著かトンデモ本か』は勉強になる --- 浦野 文孝

寄稿

私の8月17日の投稿「八幡さんの『最強の日本史』と百田さんの『日本国紀』を読み比べた」を八幡さんがFacebookで紹介してくれた。早速、八幡さんの『「日本国紀」は世紀の名著かトンデモ本か』(ぱるす出版)をAmazonで注文し、読んでみた。

八幡さんの結論は『日本国紀』は歴史の読み物としては優れているが、教科書となるべき通史としてはトンデモ本だということだと思う。私も賛成である。

客観性にかかわらず、主観的な自分の気持ちや受け取り方に徹するという方針は、文学者の手になる歴史本としてはもっともであり成功もしている。ただし、これは本来の歴史のあるべき姿はかと言えば疑問もある。

「歴史のなぜ」の分析ができていないという指摘があちこちに見られる。『日本国紀』がかわいそうになるほど厳しいが、確かにいずれも教科書としては重要なことだ。

なぜ摂関制が成立したかについて、『日本国紀』はほとんど説明していない。…
なぜ、武士としての実績では清和源氏に劣る桓武平氏の平清盛が先に太政大臣にまでなったか…『日本国紀』は分析していないので…読者はわからないままになる。…南北朝の争乱から室町幕府の成立にかけて…「そもそもなんでこういう混乱が生じたか」とか「どうして戦乱が終わったのか」ということはほとんど語られずに物足りない。…
江戸幕府がなぜ倒れたのか、『日本国紀』がどう分析しているのか読み終わってもよく分からない…なぜ幕府の改革ができなかったのかの理由や経緯がまったく書いてない…

「古代史は重要な外交戦争の舞台だ」は目に鱗

古代史について、八幡さんの「古代史は重要な外交戦争の舞台だ」という指摘は目に鱗であり感動してしまった。『日本国紀』はその自覚が足りないと述べる。古代までで45%を占めているのもその思いの表れだろう。

韓国人は「中国文化を日本に伝えたのは韓国であり、日本は感謝すべきだ」とか、「日本が朝鮮半島南部を支配したというのは虚偽」だと言って、日本人を戸惑わせる。多くの日本人は知識が少ないから反論もできない。

『日本国紀』の言うように、古代史についてわかっていないことが多いとしても、教科書であるならば、それなりに表現を工夫し、統一した見解を提示しなければならないと思う。

八幡さんは『日本国紀』は古代史の全体的な流れが構成できていないから、神武天皇と崇神天皇は同一人物だとか、中国に遣いを送ったのは大和朝廷ではなく九州王朝ではないかといった、個別の出来事の記述が矛盾していることを指摘している。

井沢元彦氏『逆説の日本史』との比較がわかりやすい

『日本国紀』と井沢元彦氏の『逆説の日本史』(小学館文庫)がどのように似ているか、具体的に比較していてありがたい。

(日本国紀)義満の計画は皇位簒奪であり、皇統を破壊する企みであった。義嗣が天皇になれば、その父である義満は上皇として自由に政権を動かし、代々足利氏から天皇が輩出することになる…

(逆説の日本史)足利義満の『皇位簒奪計画』、より正確に言えば「息子義嗣を天皇にし、自らは太政天皇(上皇)となって、足利家を<天皇家>にする』という計画は、成功の一歩手前までいっていた。

(日本国紀)研究者の中には暗殺(毒殺)されたと見る者も少なくない。私もその説をとりたい。

(逆説の日本史)義満の死は自然死でない。暗殺ではないかと、考えるのである。

その他にも、応神天皇の「神」の字とか、11世紀の刀伊の入寇や怨霊についても、井沢氏の説を採用しているようである。

八幡さんは、百田さんが井沢氏の説を採用していること自体は悪くはないが、読者にすべて史実と受け取られる可能性を懸念する。一方、文禄・慶長の役の再評価をはじめ、井沢氏の功績は評価している。現在の歴史学界への疑問点は説得力がある。

『日本国紀』にも『最強の日本史』にも登場しないこと

八幡さんが『日本国紀』に登場しないと指摘している出来事のうち、天正遣欧使節と支倉常長、幕末の禁門の変、長州出身の政治家などはともかくとして、日蓮宗を強調しているのは、私には意外だ。アゴラにも1月24日の記事がある。日本の宗教の中では、地味ながらも日蓮宗の影響が強いということなのだろう。

『日本国紀』に登場しない出来事は他にもたくさんある。

弁護士ほりさんの5月23日のブログ記事が詳しい。近現代史では「神仏分離・廃仏毀釈」「足尾鉱山」「日露戦争時の非戦論者」「米騒動とシベリア出兵」「治安維持法」「日本国憲法の国民主権・基本的人権」などである。

じつはこれらの出来事は『最強の日本史』にも登場しない。つくづく歴史というのは、何を取り上げるかというところから歴史観に左右されるものだと思う。

人名や年号の誤記がある

八幡さんのアゴラの記事には誤字が多い。歴史の本で人名などを間違えているのは困ったことである。

(原文)
天智天皇の後継者は、皇子たちの母親の出自がよくないので、大友皇子の継承が当然視されていたが、大友皇子の出来が良いので、天智天皇が迷い始め、身の危険を感じた大海人皇子が隠遁した。

(正)
天智天皇の後継者は、皇子たちの母親の出自がよくないので、大海人皇子の継承が当然視されていたが、大友皇子の出来が良いので、天智天皇が迷い始め、身の危険を感じた大海人皇子が隠遁した。

(原文)
推古天皇が遣隋使を送った。…この交流は、七九四年の遣唐使の派遣中止とその後の唐の滅亡による自然消滅で継続している。…七九四年の遣唐使は菅原道真の進言で延期され、九〇七年に唐が滅びたので遣唐使も自然消滅した。…

(正)
推古天皇が遣隋使を送った。…この交流は、八九四年の遣唐使の派遣中止とその後の唐の滅亡で自然消滅した。八九四年の遣唐使は菅原道真の進言で延期され、九〇七年に唐が滅びたので遣唐使も自然消滅した。…

(原文)
足利義満が南朝を騙したのか、それとも、義満は誠実だったのだが、子の持氏が反故にしたのか微妙なのである。…
義満が死ぬと、持氏は勘合貿易と呼ばれる義満が創った体制をやめて国交を断絶した。

(正)
足利義満が南朝を騙したのか、それとも、義満は誠実だったのだが、子の義持が反故にしたのか微妙なのである。…
義満が死ぬと、義持は勘合貿易と呼ばれる義満が創った体制をやめて国交を断絶した。

(原文)
憲法改正、東京裁判、戦後改革などについて、たとえそれが合法的なものだったとしても、その押しつけを日本人が批判することはなんら差し支えないのは、日韓併合が合法的だったとしても現代の韓国人がそれを批判することが許されないわけであるのと同様だ。

(正)
憲法改正、東京裁判、戦後改革などについて、たとえそれが合法的なものだったとしても、その押しつけを日本人が批判することはなんら差し支えないのは、日韓併合が合法的だったとしても現代の韓国人がそれを批判することが許されないわけではないのと同様だ。※

※最後の文章は真意がわからないが、原文は意味が逆になってしまっていると思う。

八幡さんも述べているように、『「日本国紀」は世紀の名著かトンデモ本か』は通史として読めることも意識して書かれている。『最強の日本史』より読みやすい。多くの書店が取り扱っていないのが残念である。

浦野 文孝 
千葉市在住。歴史や政治に関心のある一般市民。