台湾総督府編「台湾統治始末報告書」を読む②

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接収の概況 その1

台湾は中国本土と一律に中国戦区として支那総軍司令官を以て帝国代表とせられ、中国側と現地交渉に依る事となり…本島官民としては日本領土として五十年を経たる本島が支那本土占領地と一律に処理せらるべき事を慮るると共に、本島の実情と通ぜらる支那総軍及び在支外交機関に於いて、本島特殊事情を十分中国側に諒解せしめ得るや否やに就き、多大の憂慮の念を抱く実情…

支那総軍とは、塘沽協定で満州事変が終息した後、1937年7月の第二次上海事変以降に、後に中国戦区と呼ばれる地域に進駐した日本軍を指す。終戦時にベトナム北部を含むこの地域には、軍人捕虜125.5万人、居留民78.5万人、朝鮮人5.6万人そして台湾同胞4.2万人(台湾島外の本島人)の合計214万人が居たといわれる(中国陸軍総司令部資料)。

日本側の降伏を受諾する陳儀・台湾省行政長官(右)=Wikipedia

その支那総軍が台湾の案件をも大陸と同様に中国側と交渉するのでは心配と、総督府は支那総軍や陸軍省に台湾の特殊事情の考慮を再三申し入れる。だが、10月5日には台湾省行政長官公署が設けられ、追って陳儀行政長官が渡台してくる。

台湾省営備総司令部備忘録及び台湾省行政長官公署備忘録を手交せらるると共に同日前進指揮所通告第一号が発せられたのでありますが、これに依り

  • 陳儀長官着任前に在っては、本島一切の行政司法軍務は台湾総督以下日本保有各機関に依り現状を維持継続せしむべく、台湾総督はその徹底実施方監督の責を負うべきこと
  • 台湾現行の貨幣は引き続き流通を允許すること
  • 教育、産業、交通、通信公共事業は現状を維持し停頓すべからざること
  • 各種重要電設資材、物資、文献、簿冊は現状を維持し完全なる状態を以て保存すべきこと
  • 日本人公私有財産の移動、転売、処分を禁止すること

の方針が明示されました…

この備忘録及び通告に依りまして、現状維持、行政不停頓方針に依り、前進指揮所設置後も引続き本島統治の責任は台湾総督に負わされ、前進指揮所は台湾総督に対し所要の命令を為すこととし、直接本島行政に当たらざることとなり、中国側よりするときは所謂間接行政の方式を採った訳であります…

十月二十四日、陳儀長官兼警備総司令官着台、翌二十五日、台北市に於いて台湾地区受降式が挙行せられ、日本側よりは安藤総督兼軍司令官が高雄警備府司令長官、台湾軍参謀長及び総督府総務長官代理等を従えて出席、降伏調印の後、陳儀長官兼警備総司令官より行政長官公署、警備総司令部命令(署部写第一号)を手交せられたのであります…

同命令は

(一)  行政長官兼警備司令官及びその指定する部隊並びに行政官は台湾澎湖列島地区の日本陸海空軍及びその補助部隊の投降を接受し併せて台湾澎湖列島の領土、人民、治権、軍政施政及び資産を接収すること

(二)  本命令受領後は、あらゆる台湾総督及び第十方面軍司令官等の職種は一律に取り消し、台湾地区日本官兵善後連絡部長と改称して陳儀長官兼警備総司令官の指揮を受け隷下の行政軍事等一切の機関部隊人員に対し、同長官の命令、訓令規定指示を伝達する以外如何なる命令をも発布し得ざるべきこと

(三)  命令を受けたる日より直ちに迅速確実に何時にでも命を俟って、交替し得る如く準備を始むべくこと   を内容とするものであり…

ここに於いて台湾軍の無条件降伏正式に確定すると共に台湾総督の職権は取消され、日本の台湾統治は終局を告ぐる事となった次第であります。即ち、従前の国際慣例より致しまするときは、日本領土たる台湾の割譲は将来締結せらるべき講和条約に依り正式に確定せらるべく、その間に於いては中国の保障占領の下、間接統治形式に依る軍政施行せらるるに非ずやとの予想も行われたのでありますが、この命令に依り国際法上の当否は兎も角として、中国の一方的宣言を以て台湾の領土、人民、治権は、十月二十五日を画し中国側の接収する処となり、本島は中国の版図に帰し、かつ陳儀長官に依る直接統治を実施しせらるることとなった次第であります。

日本は1945年8月15日にポツダム宣言を受諾、9月2日に東京湾に浮かぶミズーリ号艦上で降伏文書に調印した。同時に署名した連合軍最高司令官総司令部一般命令第一号の付属書には次のように書かれており、台湾の日本軍も(イ)に沿い蒋介石に降伏した。

(イ)支那(満洲ヲ除ク)、台湾及北緯十六度以北ノ仏領印度支那ニ在ル日本国ノ先任指揮官並ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ蔣介石総帥ニ降伏スベシ

(ロ)満洲、北緯三十八度以北ノ朝鮮、樺太及千島諸島ニ在ル日本国ノ先任指揮官並ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ「ソヴィエト」極東軍最高司令官ニ降伏スベシ

(ホ)日本国大本営並ニ日本国本土、之ニ隣接スル諸小島、北緯三十八度以南ノ朝鮮、琉球諸島及「フィリピン」諸島ニ在ル先任指揮官並ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ合衆国太平洋陸軍部隊最高司令官ニ降伏スベシ   (ハ)・(ニ)・(ヘ)は省略

「九月に入り南京に於ける中国戦区受降調印式行われ…」とあるのは、この一般命令に基づいて行われた9月9日の受降式を指す。が、これはソ連軍に降伏した「千島諸島」の日本軍も同様だが、単に軍が軍に降伏しただけのことであって、同地が降伏先の領土となった訳ではない。

台湾総督府もそれを正しく認識し、「日本領土たる台湾の割譲は将来締結せらるべき講和条約に依り正式に確定せらるべく、その間に於いては中国の保障占領の下、間接統治形式に依る軍政施行せらるるに非ずやとの予想も行われた」と書いている。

結局は「中国の一方的宣言を以て台湾の領土、人民、治権は・・本島は中国の版図に帰」してしまったのだが、その後、サンフランシスコ平和条約においても台湾と千島列島は、、日本は単にそれを放棄したに過ぎず、その法的地位は今以って未定だ(因みに、合衆国太平洋陸軍部隊最高司令官に降伏した南朝鮮はサ条約で独立し、放棄された)。

行政司法部門の接収は十一月一日より開始せられ、総督府及びその直轄機関並びに所属団体の接収は十一月一日より開始、同月末迄に略完了、地方庁の接収は十一月八日開始十一月中に概ね完了、一部は十二月に亘り、学校その他の諸機関また十二月中旬頃迄に総て完了を見たのであります。接収に際しての中国官吏の態度は概ね穏健かつ友好的であり、略対等の立場にて授受を行い中国側接収方針として接収に臨む態度に就き統一的指示ありたるものの如く推察されました。

接収に於いては、行政事務本位の日本行政機関の事務引継ぎとは著しく異なり、専ら物的接収に重きを置き、懸案事項、緊急要務等重要なる行政事務の引継ぎには殆ど関心を示さぬ事は、日本側の意外とする処でありましたが、更に施設、物品、金銭の接収に就きましても、両国会計制度の相違、即ち日本に於いては総合的会計制度を採るに対し、中国に於いては著しく請負的色彩濃厚なる会計制度なることに原因し、種々の誤解、疑惑を生じ、惹いては紛議ないしは感情問題まで醸しました…

この辺りの記述は極めて興味深い。「接収に際しての中国官吏の態度は概ね穏健かつ友好的」だが、「行政事務本位の日本行政機関の事務引継ぎとは著しく異なり、専ら物的接収に重きを置き、懸案事項、緊急要務等重要なる行政事務の引継ぎには殆ど関心を示さ」ないことを日本側は意外に感じ驚いた。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。