香港デモと天安門事件

2019年09月15日 14:00

香港のデモは「逃亡犯条例案」の撤回でひとまず収まるだろうと私は考えています。もちろん、あれだけの熱い戦いでしたので全ての人が「そうですか」と簡単に引き下がることはありませんが、時間が経つにつれ、いずれ収まると思っています。

あの香港のデモを1989年の中国「天安門事件」と比較するケースが多いと思います。ともに若者を中心とするデモ、そして民主化という声がその背景にありました。事実、香港では毎年6月4日に天安門事件を記念する集会が延々と続いています。

それは香港人が天安門事件で戦った若者を神聖化し、中国人が得意とする「忘れてはならない事実」としての記憶遺産化している面が無きにしも非ず、という感はします。

では、それゆえの香港のデモだったのでしょうか?しっくりきません。

胡耀邦(Wikipedia)

まず、天安門事件は何が背景だったのでしょうか?それは従来の中国共産党への批判が爆発したことにあるのですがそのきっかけを作ったのが1989年4月に心筋梗塞で亡くなった胡耀邦元総書記に求めることができそうです。

胡耀邦氏は改革中国を目指し、あらゆる努力をしました。オープンで自由な中国を作るため「百花斉放、百家争鳴」といった政策を推進します。国民は氏を「開明の指導者」としましたが共産党の保守派からは厳しく批判され、その地位ははく奪されていきます。

ちなみに作家の山崎豊子氏が「大地の子」の取材で日本の外務省ですら腰を抜かしたまさかの胡耀邦氏インタビューが出来、山崎氏自身が「奇跡」と言っているのはもちろん、胡耀邦氏のオープンな考え方にそのすべてがあったと言えるのでしょう。

そういう意味で中国の知識派、インテリ層の学生は胡耀邦氏の死を悼み、氏の姿勢を我々学生が引き継がねばならないというストーリーを作り上げたのだろうと読み取れます。「我々は一時、垣間見た民主化への扉をもっとこじ開けるんだ」という希望と意思の継承がそこにあったと言えそうです。その意味では巷に言う「民主化」という言葉尻だけのものではなく、もっと深い背景がそこに存在していた訳です。

ですが、それだけ熱かった天安門の学生たちはその弾圧後、すっかり冷めてしまいました。そしてその時戦った学生が大人になった時、「もうあれはできない」と言ったその背景には今日の中国が当時に比べて格段に豊かになったことがありましょう。

このあたりは安田峰俊氏の「八九六四」に詳しく記されています。安田氏は私の知人でもあり、時折日本で差し飲み談義をするのですが、中国語を駆使して誰にでも会いに行く野心をもった新進の中国研究家で期待の星です。

今回の香港のデモは未来の希望というより民主化の扉が今後27年かけて少しずつ閉まっていくことに対する抵抗であり、天安門の「こじ開ける民主化」と香港の「閉まらないようにする民主化」の違いがありそうです。

もう一つは香港の今回のデモは胡耀邦氏のような希望のスターが存在していない点が弱い点であります。それ以上に雨傘運動の時に比べ、リーダー不在感は半端ではなく、一種の北アフリカの春の時の様相に近い感じすらあるのです。

黃之鋒氏ツイッターより:編集部

では中国共産党はどう対処していくのか、ですが、まさか人民解放軍を一般市民に向けて投入するわけにはいかないことは習近平国家主席は痛い程わかっているはずで、少しずつ時間をかけて飴とムチ作戦に出るのではないかと考えています。

最近の共産党は結果を急がない傾向がみられ、力や強権というイメージを少し和らげようする気配を感じます。もちろん、習氏の作り上げた共産党基盤は今のところ盤石でありますが、内外の山積する問題を片づけるのに一歩ずつ歩を進めるという時間稼ぎ方の解決手段を取っているように思えます。

よって対香港のデモも先日の「逃亡犯条例」撤回というアメ、それでも収まらない場合は〇〇、といった具合にシナリオは作られているように感じます。林鄭月娥行政長官のすり替えも先々のオプションの一つであるはずです。今はアメリカが奇妙に関与しないよう対策を取っていくのではないでしょうか?

香港のボイスは今回、世界に強烈な印象を与えました。これは中国共産党にとっては不都合な事実だったかもしれません。ここはいったん引いて熱さましをするのだろうとみています。その間、天安門の時の若者同様、一定の熱が維持できるのか、ここは注目すべき点でしょう。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年9月15日の記事より転載させていただきました。

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