ガバナンスに揺れる日産、「車の安全」コンプライアンスは大丈夫なのか

郷原 信郎

日本を代表する自動車メーカーの一つ、日産自動車のガバナンスは、今も、大きく揺らいでいる。

社長を辞任した西川氏(NHKニュースより:編集部)

昨年11月19日、カルロス・ゴーン会長とグレッグ・ケリー代表取締役が、支払われてもいない「退任後の報酬」についての開示義務違反という前代未聞の金商法違反の事実で逮捕、その直後に開かれた臨時取締役会で、2人を解職するというやり方は、コーポレートガバナンスとしてあり得ないものだった(日産現経営陣は、「ゴーン氏独裁のガバナンス」の問題を強調しているが、それ以上に問題なのが、「ゴーン氏追放のクーデター」にガバナンスとして重大な問題があることについて【「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”】)。

そして、検察と結託してゴーン氏を追放した西川廣人社長は、4700万円ものSAR報酬不正受領が発覚して辞任したが、それをめぐって取締役会は紛糾、記者会見も混乱、また、辞任の理由も曖昧で、辞任後の西川氏が取締役として会社に残留、日産のガバナンスは、今なお危機的な事態にある(【「西川社長辞任」で日産のガバナンスは根本的に改善するのか】)。

一方で、日産の業績は、ゴーン氏追放の直後から急激に悪化し、2019年4~6月期決算で、営業利益が前年同期の1091億円から98.5%減少した16億円まで落ち込み、全世界で1万2500人のリストラを行う方針が明らかにされている(この業績悪化についても、西川氏らは、「ゴーン時代の負の遺産」の整理によるものだとして、責任を押し付けている。)。

このような内紛が、会社の内部だけの問題にとどまる限り、業績がどれだけ悪化しようと、最悪の場合、倒産に至ろうと、社員にとっては誠に気の毒な話だが、経営者の責任の問題である。

しかし、その企業が事業を通じて社会に対して責任が果たせず、社会的な損失や被害を生じさせる可能性があるとすれば、社会の側からも会社の在り方を直視していく必要がある。

自動車メーカーにとっての最大の社会的責任の一つは、自動車による危険を防止し、安全を確保することである。それは、EV化、自動運転化など、100年に1度と言われる自動車大変革が進行する中で、自動車メーカーには、従来とは異なった面も含めて、安全性の向上に向けての積極的な取組みが求められている。

そうした中、日産の自動車に関して、海外から、重大なニュースが報じられた。

日産自動車の主力スポーツタイプ多目的車(SUV)「ローグ」(日本名「エクストレイル」)に搭載された自動ブレーキの誤作動で、これまでに計5人が負傷し、米運輸省高速道路交通安全局(NHTSA)が、9月12日に、自動ブレーキシステムの安全性について予備的な調査を開始したとのことだ(朝日、日経など)。

日産 ローグ(米国日産サイトより:編集部)

この「自動ブレーキシステムの危険」に関して、日産の電気自動車リーフのユーザーの友人から、以前、以下の気になる話を聞いていた。

充電しようと日産のディラーのショールームに行き、車道から左折してショールーム前の駐車場に入ろうと、いつもよりやや速いスピードで進入したところ、車が急に減速した。車道で停止してしまいそうだったので、咄嗟に軽くアクセルを踏んだところ、車が前へ突進し、車ごとショールームに突っ込みそうになった。急いでブレーキを思いっきり踏んだので大事には至らなかったが、大変怖い思いをした。

目の前にショーウインドウのガラスが迫り、「ガッ、ガッ、ガッ」というABS(アンチロックブレーキシステム)の音がしていたのが脳裏に残っていると言っていた。

このような事象が起きた原因について、彼は、次のように分析していた。

おそらく、車が車道のレーンから外れ、歩道との段差を斜めに超えたことで、車としては危険な状況が起きたと判断して、衝突回避システムが働き、自動ブレーキがかかったのではないかと思う。自分の運転感覚では全く想定外のブレーキだったので、反射的にアクセルを踏んだ。その瞬間、自動ブレーキが外れて突っ込んだのではないか。自動ブレーキがかかっていたら、アクセルを踏んだのかブレーキを踏んだのか、混乱する可能性がある。ブレーキとアクセルの踏み間違えが原因とされている事故の中に、私の体験と同様のことが起きたものがあるのではないか。

本来、事故の危険から運転者や歩行者、他車を守るためのシステムであるはずの自動ブレーキの作動が、その時の運転者の反応如何では、重大事故につながる可能性があるとすれば恐ろしい話だ。

友人は、次の定期点検の際に「何か問題はありませんでしたか」というディーラーの担当者の問いに、先ほどの体験を話したが、点検後に「コンピューターには自動ブレーキが働いたという記録は残っていませんでした」という解答しかもらえなかった。友人は、「場合によっては大事故につながったかもしれないのに、単なるクレーマーとしてあしらわれたようだった」と言っていた。

自動ブレーキは日常の運転中でも時折作動するものだ。「異常な事象」がコンピューター上に記録されなかったからといって、友人が体験したような危険がなかったということにはならない。そのような事象を訴えたユーザーに対する十分な対応とはいえないだろう。(私の友人は、車に関してはかなりのマニアであり、決して運転操作に慣れていない人ではない。)

米国で起きている日産車の自動ブレーキの誤作動にも、友人が体験したような事象が含まれているのではないだろうか。そこには、急速に拡大しつつある車の「自動機能」と「人間の反応」の関係の問題もあるように思える。

自動車メーカーにとっての安全コンプライアンスは、私のコンプライアンス研究の最初のテーマであった。その当初から、自動車メーカーとユーザーとの間で、自動車の危険についての情報活用に向けてのコラボレーションが不可欠であり、それを可能にする自動車メーカーの品質保証部門の充実などの組織体制の整備が重要であることを指摘してきた(拙著「コンプライアンス革命」2005年)。

今後、人間の運転者を不要にする「完全自動運転自動車」が実現すれば、自動車の安全性は、自動車という製品の内部で完結することになり、安全コンプライアンスの構図は根本的に変わる。しかし、それに至るまでの「人間の運転」と「自動機能」とが併存する局面では、自動機能と人間の反応の相関関係によって、様々な危険が生じる可能性がある。

車の自動機能が感知する「危険」は、パターン化されているが、車がその「危険」に反応して機能が作動した際の「人間の反応」は一様ではない。米国での日産車の自動機能の問題も、そのような人間の反応と交錯した問題である可能性もある。

そういう「危険」について、何か事象があれば、その情報を、可能な限り幅広く、エンドユーザー→ディーラー→メーカーというルートで吸い上げて、自動機能の安全性の向上に活用するというのが、現在の自動車メーカーにとっての「社会的要請に応える」コンプライアンスのはずであり、その要請に応えるために組織を挙げて取り組んでいかなければならない。

自動車ディーラーが、自動ブレーキ機能で危険が生じた事例の話を聞けば、ただちに詳細を聞き出してメーカー側に情報提供することができるよう、組織として方針を徹底しなければならない。それが、大変革時代に求められる自動車メーカーのガバナンスだと言える。

ところが、友人の話を聞いた日産のディーラーの対応は、重大事故につながりかねない「異常な事象」が発生しているのに積極的に向き合う姿勢は全くなかった。そのような対応で、自動機能と人間の反応とが交錯する状況下での自動車の安全に向けて、十分に応えていくことができるのだろうか。それが自動車販売不振によるディーラーを含めた日産自動車の企業組織全体のモチベーションの低下や、販売不振のためにメーカーとディーラーの関係が「販売奨励」中心となりがちであることと何らかの関係があるとすれば、日産のガバナンス問題と無関係ではない。

今後のことについて、私の友人は、

エンドユーザーからの意見をディーラーが吸い上げて、中央でデータベース化して、製品づくりに還元したり、積極的にリコールしたりするような姿勢の自動車会社があれば、日産から乗り換えるつもりだ。

と話していた。

そのようなエンドユーザーの選択が、自動車の大変革期における、自動車メーカー間の、安全コンプライアンスを中心とする競争を高めていくことになるだろう。

内紛・ガバナンス問題に明け暮れている日産は、大変革の時代の自動車の安全に向けての競争に生き残っていくことができるのだろうか。

郷原 信郎 弁護士、元検事
郷原総合コンプライアンス法律事務所